「あぁ、あれは、俺が描いてるんです。ここ、親がやってる店で。内装に合わせて描いてくれって頼まれて。」
「すごい・・・。」
ダイナミックで目を引く色使いだが、細部が繊細で美しい。
「絵とか、好きなんですか?」と彼に聞かれた。
いつもだったら、自分なんかがという気持ちがどこかにあって、絵が好きな気持ちを人に話せない。でも何故か、この場所で、この人になら自分の思ってること、話してみたいなって思ったんだ。それは多分、いつもうまくできないダメな私のことを知らないまま受け入れてくれる、学校でも家でもないこの空間が私にとってはすごく居心地がいいんだ。
私は自分の絵の話を初めて人にした。絵が好きで、表現することが好きで、創作をする気持ちが好きで、絵を描いてる自分だけは好きなんだってことを、この場所だから、私を知らない彼だから、そして絵の話だから、私は私の話を私らしく話すことが出来た。 彼はそれを聞いて、
「美大とか目指すんですか?」と、聞いてきた。
「えっと、将来のこと、まだ全然自分でもわからなくて。絵は大好きだけど、才能ないかもなって思うと、他の道の方がいいのかもって…。」と答える。本当は1分1秒でも絵に触れていたい。
「そっか。」彼は、鏡越しに自信のない私の目を見つめた。
「俺もさ、親が美容室を持つのが夢で、一生懸命やってる姿を見てきたから、その姿がかっこいいなって思って、ヘアセットも好きだから美容の専門学校に進んで、今ここで美容師を何年かやってるんだ。でもさ、俺もやっぱり芸術が凄い好きで、これで本当に良いのかなって何度も思って。今は働きながら、芸術の夜間学校に通ってる。最初はさ、もっとほんと凄い下手くそだったんだ。人の体なんて特に酷かった。」
「えっ、そうだったんですか?」と、私。あの絵からそんなの、全然想像ができない。
「今は毎日必死でさ。芸術でも仕事でも何でもさ、やっぱり才能っていうのはあるんだなって、何度も目の当たりにして、絶望的な気持ちになったりもするんだ。…でもさ。」彼が一旦作業する手を止めた。
「やっぱ楽しいよ。芸術は、結局、気持ちと、やってきた量だって俺は思うんだ。ただ数をこなせばいいって訳じゃない。だけど、どれだけ強い気持ちがあるかってことと、どれくらい量を積み上げてこれたかなのかなって今は思うんだ。そう思うし、そう思いたいんだ。それが俺の芸術なんだ。」そう言って、彼はハッとした顔をした。
「すみません、偉そうなこと言って。でも、好きって強い気持ちがあるっていうの は、それだけで特別なことだと俺は思ってるので、話聞いてたら、つい熱くなってしまいました。」
彼は罰が悪そうな顔をして、また手を動かしだした。
「人は何歳からでも何にでもなれるって思ってるんです。そうやっていつも自分に言い聞かせながら自分を信じてやってます。」
「…ありがとうございます。」
口下手な私は、それしか返せない。彼の絵には、彼の前向きで強い気持ちがこもっている。私は彼の絵が魅力的な理由がわかった気がする。鏡越しに映った絵の中のライオンの目が、一瞬きらりと光ったように見えた。
私はいつも上手く出来なくて、唯一好きな絵も私には才能がないんだって思うと怖くなる。でも明日からほんの少しでも自分を変える方法はきっとあるはずだ。
「はい、終わりました。仕上がりはいかがでしょうか?」と、彼が仕上げのヘアオイルをつけて言う。バニラのような甘い匂いがふわっと香った。
腰まであったストレートヘアが、胸の位置でふわりとカールしている。好きじゃなかった一重瞼も、小さな丸い鼻も、ふわふわにセットされた髪の毛と合わせると前よりもずっと良いものに感じる。
「すごい…!全然違う…。あの、またきても良いですか?」と、食い気味に聞く。
「あはは。ぜひ!気に入ってもらえてよかったです。」
「はい…!今日は本当にありがとうございました。」
今日の私は、昨日の私よりもちょっとだけ好き。私は夕焼け色の美容室を後にす る。美容室を出ると、外の世界も赤とオレンジと紫のグラデーションの綺麗な夕焼け空だった。将来のこと、正直今はまだどうなるかはわからない。それでもやっぱり、今は絵を描きたい。家に帰ったら、今の気持ちを絵にしてみよう。一枚でも多く前向きに描いてみよう。美術部とか今からでも入れるかな。来週、見学くらいは行ってみよう。
私は小さく歌いながらスキップで駅に向かった。