相田君は、ビックリしたような顔をして、「はい、その、出来ればそうしたいです。でも、男でそういうの、変じゃないですか?」と聞いた。
瀬戸さんは「任せなって」と言って、エプロンからハサミを取り出した。
「服、おしゃれだね」
瀬戸さんが言った。相田君は、恥ずかしそうに俯きながら、小さな声で「ありがとうございます」と言った。
「誰でもね、好きな格好でオシャレするのが一番だよ」
瀬戸さんは、相田君の長い髪にブラシをかけながら言った。すると、相田君は、ポツリ、ポツリと、話し始めた。
「僕は、本当は女の子の格好がしたいんです。女の子の服を着る勇気は無いから、せめて髪だけでも。でも、髪型だけ女の子みたいにするのは似合わないし、せめて、男っぽさを意識しなくていいようにしたくて」
瀬戸さんは、ハサミやブラシをくるくると操りながら、話し始めた。
「私が美容師になったのは、他人の髪をいじるのが好きだからっていうのもあるけど、一番は、人に喜ばれたいってところなんだよ。毎日、鏡を見てさ、よし私ったら良い感じだなって思えたら、ちょっと嫌なことがあっても、少なくともその瞬間は幸せになっちゃうと思うんだよね」
瀬戸さんは、「ちょっと昔話するね」と言って、話し始めた。それは、私も初めて聞く話だった。
「私のおばあちゃんは、私が中学生のときに死んじゃったんだけど、最期は病院で寝たきりで、お風呂も毎日入れないような状態だったのね。おばあちゃんって、凄くオシャレで格好いい人だったんだよ。若作りとかじゃなくてね。オーシャンズ8みたいな。知ってる? めちゃくちゃ格好良い女の人ばっかり出てくる映画。そんな人が、入院してからはいつも患者服だし、髪もバサバサになっちゃってね。それで、私が濡れたタオルで髪を拭いて、ドライヤーでブローしながらとかしてあげたの。今みたいに上手くはできなかったんだけどさ。それでも、おばあちゃんは凄く喜んでくれて、なかなかイケてるじなゃない、とか言うわけ。それから、おばあちゃんは私が来ると、今日も格好良くしてよって言うようになって、髪をとかしてあげると、顔色まで良くなるの。私は、人を綺麗にすることって、人の心まで動かすんだって思ってさ。美容学校に行こうって決めたわけ。人の心そのものを変えられるわけじゃないけど、自分イケてんなって思うと、やっぱりテンション上がるじゃん。誰でも綺麗になる権利があるし、キッカケさえあれば、自分のことをもっと好きになれると思うんだよね」
瀬戸さんは、相田君の髪にハサミを入れながら、ワーッと話した。なるほど瀬戸さんの仕事のやり方は、彼女の動機をそのまま実践したものなんだと思った。
相田君は、口をぐっと固く結びながら、瀬戸さんの話を聞いていた。
あまり長さを切らなかったので、相田君のカットは、一時間弱くらいで終わった。瀬戸さんがドライヤーでセットを終えて、三面鏡を取り出し「どう?」と言うと、相田君は目をぱちくりさせて、「凄い……」と呟きながら、そっと自分の髪を触った。
伸びっぱなしの重い長髪が、フワリとした毛先のウルフボブになっていた。長さはあまり変わっていないけれど、印象はずっと明るくなって、緩いシルエットの服と合わさって、相田君は中性的な色気すら纏っていた。
「魔法みたいです……」
相田君が呟いた。
「君に似合う髪に出来たと思うんだけど、気に入った?」
瀬戸さんが言うと、相田君は何度も頷いた。私も「凄く似合ってるよ」と心から言った。そして、瀬戸さんはやっぱり魔女のお姉さんなんだ、と思った。
店を後にした相田君は、ソワソワとしていて、講義室の隅で小さくなっている姿とは全然違った。髪に手をやって、ガラスに映る自分の口元が緩んでいるのに気付いては恥ずかしそうに口を手で覆う相田君は、間違いなく、魔法にかけられていた。その様子を見て、私の心の中にも、キラキラしたソワソワが生まれてくる。
瀬戸さんが言っていた、「人を綺麗にすること」と「キッカケさえあれば、自分のことをもっと好きになる」ということ。それが、瀬戸さんの魔法の正体なのだと思った。そして、その魔法によって生まれるものは連鎖する。瀬戸さんは、そういうことを仕事にしたのだ。
私にも、その魔法は使えるだろうか。
私は、瀬戸さんの選んだ道とその後ろ姿と、自分の姿を、頭の中でそっと重ねてみた。