私が初めての彼氏と別れ話が出て悩んでいたときなどは、髪を切りながら「はぁ」とか「へぇ」とか相槌をうっていたかと思うと、手を止めてハサミを持ったまま「うーん……」と唸り、「面倒くさいよその男。さっさと切りなって」と言った。髪をスッキリさせた私は、気持ちもスッキリして、その日のうちに彼に「別れよう」と電話したのだった。
家族と喧嘩したときも、受験のストレスで髪がガサガサに荒れたときと、瀬戸さんに髪を切ってもらうと、厄が落ちたみたいにスッキリした気持ちになって、来たときより軽い足取りで美容院を後に出来るのだった。それは、瀬戸さんが私の癖っ毛を上手い具合に操って、トリミングされてないプードルみたいな頭を、オシャレなパーマヘアにしてくれるからだけではない。私の心に節操なく生えた雑草を刈り取るような、瀬戸さんの率直な言葉が、不思議と私の心を軽くしてくれるのだ。
瀬戸さんは、「誰でも身綺麗にすると、気持ちもスッキリするんだよ。私は、皆んなの気持ちをスッキリさせる為に勉強したわけ。で、せっかくなら、髪を切っている間も、楽しい気持ちでいて欲しいじゃない? もちろん、あまり会話が好きじゃなさそうなお客さんのときは静かにしているけど、基本的に、私自身が話好きなんだよね」と言っていた。
私が、「瀬戸さんって魔女なの?」と冗談めかして言うと、彼女は「悪くないなー」と言って、またハサミを持ったまま長考に入っていた。
大学生になった私は、一人の男の子を瀬戸さんのお店に連れて行った。
彼は相田君といった。肩上くらいまで髪を伸ばしていて、いつも身体のラインが出ないような緩い服を着ていた。講義のときはいつも隅っこの方の席で、誰とも話さずそそくさといなくなってしまう。
講義に遅刻してひっそりと教室に滑り込んだ日、彼が貰い損ねたレジュメを見せてくれたことをきっかけに、友達になった。
ある日、私は相田君に「髪長いよね。どこまで伸ばすの?」と聞いてみた。それは何気ない一言のつもりだったけど、彼はバツが悪そうな顔をして、「やっぱり、変かな」と言った。
「え、変じゃないよ。そういうつもりで言ったんじゃないんだ。ただ、伸ばしたいのかなって思ったから」
「本当は、もっと伸ばしたいんだ。でも、そろそろおかしいかなって思っていて。でも美容院に行くと、その、思った通りにはしてもらえないっていうか……」
相田君は髪を触りながら、悪い隠し事を告白するみたいに言った。つまりは、相田君は男っぽい髪型になるのが嫌で、髪を伸ばしているとのことだった。美容院に行くと男性の長髪に合わせたカットをされてしまうし、女性用のヘアカタログを持っていくわけにもいかず、伸ばしっぱなしにする以外にどうしたらいいのか分からないと言っていた。
私は、初めて瀬戸さんに会った日に「若い女の子の間でめちゃくちゃ流行らせてよ」と言われたことを思い出した。相田君は男の子なのだけど、何故か、彼の悩みは「若い女の子」の悩みだ、と思った。そして、瀬戸さんなら、彼の気持ちもスッキリさせてくれるような気がした。瀬戸さんは、魔女のお姉さんだから。
私は、相田君に「オススメの美容院があるから、一度試してみない?」と言った。彼は「そろそろ伸ばしっぱなしってわけにもいかないし……」と承諾してくれたので、瀬戸さんのお店にカットの予約の連絡をした。
当日は、私も一緒に美容院に行った。瀬戸さんは椅子に座らせた相田君にエプロンをかけると、「どんな感じにしようか?」と言った。
相田君は口ごもって言いにくそうにしていた。すると、瀬戸さんは、彼の長い髪を触って、「綺麗な髪だね。長さは生かしたい感じ?」と聞いた。相田君が頷くと、瀬戸さんはニッコリ笑って、「じゃあ、少し軽くして動きを出して、フェミニンな感じにしてみようか。似合うと思うんだけど、どうかな?」と言った。