真田さんはちらっと毛先を見てから顔を上げた。
「伸ばしてたというよりも今ちょっと節約してて」
「あ、そうなんですね」
「まあこんな時期だから外食や旅行は自然に抑えられたし、部屋にあった物も売ったり捨てたりして。あれって不思議ですね。捨てると物を買う気も失せるんです。『これもいつかは捨てるのかな』とかって考えたら気持ちも萎えて。わたしってかわいい物とか好きで。猫とかパンダの置物とかすぐ買っちゃうんです。でもそれも買わなくなりましたね」
真田さんがかわいいもの好きなのは初めて聞いたが、確かにとも思う。スマフォのケースがブレイクダンスをしている白熊だし、バックからは胴体が餅のように伸びている猫のキーホルダーが揺れていた。かわいい、というよりも面白かわいい、のほうが合っているけれど。
「じゃあ節約してるなか今日は来てくれたんですね。ありがとうございます。そもそもなんで節約してるんですか?」
「ここまで貯めたら仕事やめようって決めてまして」
ほしい物があって、とかコロナが収まったら行きたい場所があって、とかそんな言葉が返ってくるかと思っていたが割と深刻そうな話である。
だからさっきわたしに『なんで美容師になったんですか?』なんて聞いたのか。
「えと、貯まりました?」
「まだですね。でも」
そこで真田さんはふふっとおかしそうに笑った。
「貯まる頃には次にやりたいことも自然に思い浮かんでるんじゃないかと思ってたんですけど、そんな気配一向になくて。ただ、このままでいいのかっていう焦りだけがあるんです」
カチコチ、と時計の音がやけに大きく聞こえてくる。こんなに大きな音を鳴らす時計だっただろうか。
「色々事情があって、今ほとんど家の中で過ごしてる友達がいて。その子とこないだ電話で話したんです」
急に真田さんが話題を変える。戸惑ったけれどさっきの気まずい沈黙よりはずっといい。うなずいて話の続きを促す。
「その子は家でほとんどジャージで過ごしてるみたいなんですけど、これでいいのかって思って新しく服買ったみたいで。そしたらなんか他の生活もきちっとしようと思ったって言ってて。それで、なんか、わたしも髪を切りたくなって」
そこまで一気にまくしたてるように言ってから、真田さんはわたしと目が合うと空気がぬけたようにふわっと微笑んだ。
「でも、本当来てよかった。すみません、急にこんな色々話しちゃって」
真田さんは物静かな印象だし、あまり話しかけてほしくなさそうなオーラをいつもだしていたのでわたしも遠慮をしていた。だけど礼儀正しいし、無茶なことも言わないし、時々面白いことを言ってくれるユーモアのある人だとも思っていたので来なくなってから実はずっとさみしかった。だから、わたしは今とても。
「あの、むしろうれしいです! ありがとうございます。色々話してくれて」
それからは話もすることなく、淡々とカットは進んでいった。
「このくらいでどうでしょうか。後ろはこんな感じです」
「わっ、いいですね。これだったらおろしてもそんなに邪魔にならなそう」
長さは残したが、大分量は減らしたつもりだ。床には存在感のある黒いかたまりが別個の生き物のような顔をして座している。
「シャンプーとトリートメントも買ってこうかな」
「お、気に入ってくれましたか」
「はい。こんなにきれいにしてもらえてうれしいんで」
にっこりと微笑む真田さんを見て、わたしは初めて叔母さんをカットした日のことを思い出していた。
友達や姉、お母さんにもやったけれど、やはり叔母さんは特別だった。緊張とうれしさがないまぜになって、大好きな叔母さんの前で初めて手が震えた。