「かしこまりました。こちらへどうぞ」
淡いピンク色の液体が入ったボトルを小さな白い手でそっと取り出すと銀色のワゴンに乗せた。ぼんやりした柔らかい気持ちで後を追う。
「お湯加減大丈夫ですか」
シャワーの音がしたと思ったら、膨らんだ蕾が次々に開いていくような新鮮な甘い香りがあたりに満ちてきた。思い切り吸い込むと頭が心地良く痺れた。
「藍里、髪が伸びたからそろそろ切ろうか」
遠くから母の声がした。
ずいぶん昔の記憶だ。なぜ、今、急に思い出したのかわからない。
「やだ。ゆうかちゃんみたいに長く伸ばして、結ぶの。リボンをつけるの」
「藍里はショートの方が似合うから。ほら、切ったらさっぱりするわよ」
次に浮かんだのは誕生日にせがんで買ってもらったリボンとフリルがついたピンクのワンピースだった。くるりと回るとスカートがふわあと広がってアイドルみたいだと嬉しかったけれど、写真に撮って気が付いた。真っ黒な髪のショートカットですとんとした体型の自分にそのワンピースは恐ろしく似合っていなかった。
もう二度と可愛らしい服は着ない。髪も伸ばさない。あの日からスカートよりパンツを、フリルやレースのないシンプルなものを選ぶ癖が身に付いた。
可愛いものが好き。きれいなものが好き。何が悪い。好きなものと似合うものは違うけれど、誰かに迷惑をかけているわけじゃない。そう思いながら決心した。飾り気のないさっぱりしたもので外側を取り繕って、家では趣味全開にしよう。これでもかというくらい少女趣味な部屋は自分だけの秘密。誰も家には呼ばないでずっと隠しておくつもりだった。
胸の奥底にしまっていたはずの想いが溢れて目が熱くなる。
細い指が優しく頭を包みこんでもみほぐす。しゃくしゃくしゃく、髪が泡に包まれ揉みこまれ、ぽん、ぽぽん、甘い香りの花が咲く。
「わあ、すごく意外」
笑った晴人に「飲んだら帰って」と叫んだ。
「なんで怒るんだよ」
そう言って、ばかにしたみたいに頭を撫でる指をはねのけて乱暴にコーヒーを淹れながら泣きそうだった。一番大事な隠したいところを見せてもいいような気になってしまったのはお酒のせいだ。大失敗だ。
ふわん、と目の前が揺れる。花の香りが強くなる。あの日の私の背中が見える。私の背中を見ている晴人が見える。どういうこと? これ、夢? 頭をゆっくりもまれている感覚があるから夢を見ているわけじゃないよね? そう思いながら続きを見たくなり、目を凝らす。
「うわ、どうしよ、オレ」
部屋を見回しながら晴人が言う。そう、聞こえていたよその声。その言葉が私にとどめを刺したんだ。見なきゃよかった、知りたくなかった、幻滅だ、そう思ったんでしょう?
「……こんなの見たらもっと好きになっちゃうよ」
え? 嘘。
むせるような甘い香り。胸の奥深くからのびてきたバラに蕾がついてふっくら膨らんで大きな花がぽんと咲いた。
「お湯、流しまーす」
甘い声がした。しゃわしゃわと全部、流れていく。ふわふわ甘い香りに包まれて起き上がった私の頬はほんのりベビーピンクに染まっていた。
※