権藤さんがパチン、とダッカールを景気よく鳴らした。
「じゃあ、おあいこということで」
***
一度家に戻る、という権藤さんと駅まで歩く。以前は土曜の早朝でも始発を待つ人がたくさんいた中目黒駅までの道のりも、今は視界に数えるほどしか人間がいない。
「お店、行きにくくなっちゃったなあ」
「ぜひ次はアメリ見直した感想を聞かせてください。それに強い女性になるんでしょう、その第一歩だと思って」
「権藤さんは自分の振られ話を不特定多数の前でぶちまけたことないから言えるんですよ」
肩を落とした私を3月の風がなでた。うなじに当たる春風が新鮮で心地よい。
「そういえば権藤さん、レオンとかソフィー・マルソーも好きでしたよね? それっぽいこと言って、私を自分好みのフレンチボブの練習台にしただけなんじゃ?」
「どうでしょうか」
うそぶく権藤さんの横顔をじっと見るが、マスクに覆われていてよけい表情が読めなかった。
「だいたい権藤さんフランス映画って顔じゃないでしょうが」
「ほらまた。外見で人を判断しないほうがいいですよ、古いです」
それは確かにそうだ。
「ねえ、『失恋した酔っぱらいが突発的に髪を切りに来る』って、美容師あるあるだったりしません?」
「なんですかそれ」
聞いたことないですね、と言ったあと、不意に立ち止まった権藤さんは低い声で笑った。私もつられて笑い出す。
権藤さんと私の笑い声だけが、朝の目黒川を上っていった。