鏡に映る結衣さんの頬に一筋の涙が流れるのを見た。唇をぐっと噛み、必死で堪えようとしていたが次の涙は続いた。やがて、ぽとり、ぽとりと零れた涙はカットクロスを伝い流れると、ふわりと落ちた黒い髪の束に吸い込まれた。
「しばらく、来れないと思う。ありがとね」
なんとか浮かべた笑顔。絞り出したその声は、小さく震えていた。
抗がん剤治療を受けるそうだ。
髪の毛が抜け落ちるかもしれないから、本当はそれだけはしたくないと漏らした結衣さんだった。苦渋の決断だったに違いない。
「そうなんですね」
そう返すことしか、私にはできなかった。何を言っても無責任な言葉に思えたから。
いつの間にか、私も泣いていた。
「奈々、泣いてる」
結衣さんが笑う。
「ごめんなさい」
「なんであなたが泣くのよ!」
「だって……」
「あぁー、もう! ほら、笑お! 泣いてたって仕方ないよ」
結衣さんが私の頭を力一杯撫でた。なぜか私が励まされている。だけど、その言葉は結衣さんが自分自身に言い聞かせているようでもあった。
「ちょっ、やめてください! 髪、ボサボサ!」
「ハハッ、美容師らしくない髪型ね!」
誰もいない店内で私たちは思いっきり泣いた。そして、思いっきり笑った。
それは暑さが和らぎ、ようやく過ごしやすくなり始めた初秋の頃だった。
結衣さんはいつものように明るい笑顔で颯爽とやって来た。トレンチコートをハンガーにかけ、いつものように窓側の椅子に腰を下ろす。そして、いつものように結衣さんのショートヘアをカットしていると、結衣さんは思い出したかのように言った。
「そうそう、この前、病院行ったのよ」
「へぇ、体調悪かったんです?」
「それがさぁ、まさかの急性白血病だって」
あっけらかんとした口調だった。まるで、足を打撲でもしたかのような軽い感じで。闊達な人なのは熟知していた。だけど、こればかりは「そうそう」なんて切り出しで始める内容ではないと思った。
「大丈夫なんですか?」
「まぁ……治療すればなんとかなるでしょ」