「わかりません。もしかしたら喜んでくれるかもしれませんけど。自信がなくって」
「だから、この噂の美容室で髪を切って自信をつけたかったのですね」
「はい。でもできればあまり髪を切らないで欲しいんです。彼は長い髪が好きだから。それに髪が長いと顔を隠せるし。私、顔に自信がなくって……」
静香さんは懇願するように言いました。
初めてきたお客さんのプライベートなことに、干渉するようなことはプロの美容師としてするわけにはいきません。私は静香さんの希望通りに髪の毛を揃える程度に切っただけでした。静香さんは自分の意見を押しつけるようなことを言わない態度に安心したようで、その後も定期的に店に来てくれるようになりました。
五度目の来店のときでしょうか。静香さんは大きくなったお腹を両手で抱えるようにしてやってきました。明るい表情からすぐに良いことがあったのだとわかりました。鏡に写った瞳がとてもやさしく輝いていました。
「結婚したんです」
鏡の前に座るなり静香さんは言いました。
「そうですか。彼もやはりお子さんを望んでいたんですね」
はにかむ静香さんに「お子さんが生まれたら長い髪は邪魔になるかもしれませんから、すこし短くしませんか」と、以前から短くて顔をはっきり出す髪型の方が似合っている、と思っていた私はそれとなく提案をしてみましたが、静香さんは迷うこともなく首を横にふりました。彼の好きな長い髪のままでいたいのだそうです。私は無理強いをすることなく、このときも髪の毛を揃える程度に切っただけでした。
この頃には、静香さんとも客と美容師というドライな関係よりも一歩踏み込んだ親しい関係になっていました。こちらから特に聞かなくても静香さんのほうから、ぽつぽつと自分の話をしてくれるようになっていました。
結婚した彼とは同い歳の二十七歳で、インターネットのマッチングサイトで出会ったのだそうです。インターネットに詳しくない私にはよくわかりませんが、今の時代では当たり前のようでした。彼は広告代理店で働いていて、静香さんは現在専業主婦をしているそうです。以前は看護師をしていたそうなのですが、彼の希望もあって辞めたということでした。いつも夜遅くまで働いている多忙な彼を支えたいのだそうです。
妊娠中ですので仕事を休むのは当たり前かと思いますが、せっかくの仕事をなにも辞めなくてもよいのではないかと思いましたが、さすがにそこまでは口出しをしませんでした。結婚歴も出産歴もない私が何を言っても説得力がないと思ったからです。
何度目の来店かわからなくなりましたが、あるときから静香さんは生まれたばかりの男の子を抱いて店にくるようになりました。目がクリッとしていて利発そうで可愛らしい赤ん坊でした。子供が生まれて幸せいっぱいなはずなのに、この頃から静香さんはあまり笑顔をみせなくなり、私とも話をしないようになりました。長い髪は相変わらずで、顔を隠すような髪型も同じでしたが、以前よりも意識的に髪の毛で顔を隠しているようでした。
「離婚したんです。彼と別れてシングルマザーになりました。このお店で髪を切っていたのに……」
ある日やってきた静香さんは鏡の前で泣きだしました。
「ごめんなさい。噂通りの店じゃなくて」