そのあとは言葉にならなかった。私は小さな体を起こし、彼女が泣くのに任せた。肩を抱くと、あまりの小ささに、私も涙があふれる。まだ子どもなのに、妹の生活すべてを守ろうとしているのだ。水をくみ、ご飯を貰い、学校生活も送れず、母が亡くなった現実を強制的に受け入れられさせられる。近所のひともみんな辛い状況で、思うままに愚痴を言うこともできない。
ごめんなさい、と優紀は何度も謝った。大丈夫だよ、私がんばるから、ママが心配しないように、と、何度も。私はそのたび彼女の体を抱きしめ、いいんだよ、がんばったんだよ、よくやったね、と声をかけるほかない。優紀はやがて私の体に抱き着き、ママ、ママ、と何度も叫んだ。
隣のシャンプー台にいた店長も涙ぐみ、店長が髪を洗っていたお客さんも、津波で失ったものを思い出したのか、涙をこぼした。
彼女は、いや、この地震の被害者たちは――本当に、多くのものを喪ったのだ。
優紀の髪が乾きったたのは、車の外に被災者が並び始めたころだった。「私、もう行くね」と優紀は気を遣ったように呟いた。
「ねえ、髪も、切ったほうがいいのかな」
と、優紀は最後に呟いた。
「どうして?」
「これから大変になるから、ばっさり切ったほうがいって言われたの」
「……いらないよ。私、何度でもここに来るし、いくらでもシャンプーしてあげる。だから……切らなくてもいいよ。だって。お母さんが切ってくれてたんでしょ。その髪には、まだお母さんがいるような気がするんでしょう。だったら……」
優紀はようやく理解者を見つけたようにホッとした笑顔をもらす。
「うん。じゃあ、また来る」
「待ってるよ。約束だよ」
「うん……あ、そうだ」
と、優紀は振り返った。
「ねえ、これだったら、アキト君に告白できるかな」
「え?」
「卒業式に告白しようと思ってたの。でも地震来ちゃったし……。同じ避難所にいるけどさ、あんな匂う髪で近づきたくないし……。ね、どう思う?」
子どもというのは不思議なものだ。あんなにも泣いていたのに、今は逞しく前を向こうとする。
「……うん、いいと思う」
私がそういうと、優紀は花のように笑って、駆け出していった。
その勇気に、のびやかな生に、私は、母に電話しようと決めた。私のことは心配しないで、地震の前は美容師を続けて何になるんだろうと悩んでいたし漫然と生きていたけれど、髪を洗うだけで幸せを作れるって素敵なことだって気づいたから。もう少しだけ頑張ってみたいのと、そう伝えよう。
「次のかた、どうぞ」
私は明るくそういって、洗髪台を傾ける。春はまだ遠い。けれど、いつかはこの車に、この町に、あの海に、春も訪れるのだ。シャンプーを手に取ると、ふわりと香るあまい匂いが、車のなかに満ちていった。