「やだ。そんな顔しないで。彼女、晴れ晴れしてたわ。ようやく髪がすっきりした。生きていける気がするって」
「生きて、いける……?」
日常生活を過ごして、こんな言葉を聞く機会は稀だ。けれどシャンプーボランティアを始めてから、もう十三回、同じ言葉を聞いた。
「ありがとう。私も、もう少しだけがんばってみるわ」
そう言って、千鶴さんは車をおりた。理美容車から見送る千鶴さんは、避難所へあるいていくあいだに何度も髪をなでる。普段はお洒落している人が、一月も髪も洗えないというのは想像以上に辛いことだ。
「おーい。電話鳴ってるよ」
のんきそうな声に振り返ると、店長が私のスマホを見ていた。もじゃもじゃの髪と、ころころした体で、大きなクマのぬいぐるみのような人だった。美容室ボランティア開業のポスターにもハサミを持った熊の絵が描かれており、私たちが「クマの美容室」と呼ばれる所以だ。
「ああ、今出ます」
私も、平和な声をだす。被災地に来た人間は、明るくいた方がいい。あるいは、被災者とともに落ち込めるひとがいい。そうじゃなきゃ、何気なしの行動で傷つけることになるのだと思って、私も店長も、東京にいたころよりずっと明るく振舞うようになっていた。
「あ……」
「ん? だれ?」
「また、お母さん。電話しないでって言ってるんだけどなあ……」
母は九州のひとで、兄夫婦と一緒に暮らしている。東日本大震災があってから、東京に暮らす私のことを心配し、九州に帰ってこいと何度も連絡してくるのだ。
「……もしもし? お母さん?」
『あんた、仙台にいるってホントかい? せっかく東京にいたのに、一体なんで……』
「ねえ、いま私仕事中だからさ」
『ボランティアだろ。地震の前は美容師なんてやめたいって言ってたんだ。帰っておいでよ。ね、そうしな』
それ以上は聞きたくなくて、私はスマホを手放した。そのまま切って、移動車の棚に置いた。電源だって、仙台ではまだ貴重だ。海沿いに比べて復旧したとはいえ、緊急連絡以外は受けつけてられない。
「……休憩しておいで」
「店長、私まだできますよ」
「まだできる、ってのは、もうギリギリってのと同じでしょ?」
「でも……」
「ボランティアってのはね、「私より困ってる人がいるんだから」って頑張りすぎて倒れる人が多いわけ。いま休んどいたほうが、みんなハッピーだよ」
ころころしたクマ店長に言われると、その通りな気がしてくる。私は理美容車を出て、山の方へと歩き出す。四月とはいえ、まだ寒い。コートを羽織ってきたのに、体の芯から冷えていく。春はまだ遠いのだ。私の隣を、小学生が走っていく。その顔は笑っていたが、着ている服はサイズがあっていない。洋服ボランティアで提供された服であることは一目でわかった。