「でしょ?その時期その場所だけは、いつもは主役のハーブたちが脇役になってくれる。おもしろいよね」
とそう窓を見て言った柏さんは、早朝の朝顔を思い出しているようだった。
私は目の前の大きな鏡で自分の姿を見据えた。黒髪になったら、私は浮くことなく一人の就活生として、周りの就活生に馴染める。
でも、それでいいんだろうか。私の就活はそれで上手くいくんだろうか。後悔、しないんだろうか。
「さて、どうしよっか?時間は余裕あるから気にしなくて大丈夫。どんな髪色にもできるよ。今カラーチャート持ってくるね」
と柏さんが離れたとき、美容室に風が吹いた。お客さんがドアを開けてお店に入ってきたようだ。流れる風に私の髪がなびいて、小さく揺れた。そのとき、ラベンダーの香りが、微かに香った。
私はその匂いを吸い込むように、深く深呼吸をした。まるで、「大丈夫。自分のやり方で進んで、大丈夫」と、そうささやかれているような気がした。
「おまたせー」と戻ってきた柏さんが広げるカラーチャートの中で、私はある色が目に入った。
「この色にしていただくことって、できますか?あの鮮やかで優しい色に」
と、窓の外のラベンダーを指さしてそう言った。まるで博打だが、それでも私は私のこだわりを受け入れてくれる会社に入りたい。それが就活の軸でもいいんじゃないかとそう思えた。
それを聞いた柏さんは私の顔を見て、そして
「いいじゃん!」
と言った。その反応に思わず笑みがこぼれた。
「長さはどうする?」
「ボブでお願いします。毛先が揺れて、色が映えるような」
柏さんは私の髪を見て、どんなスタイルにするか考えているようだった。そしてクロスをかけ、
「よし!じゃあ、切るよー」
と柏さんは気合いを入れて、ハサミを私の長い髪に入れた。シャキンという心地よい音が耳に響いた。
会計で、私は男性用のシャンプーを一本買った。
「お!お父さん、使ってくれてるんだ?」
と柏さん。このシャンプーは頭皮の乾燥が酷く、ふけが多い父に私が誕生日プレゼントと称してあげたものだ。父は最初こそ遠慮していたものの、いつの間にか使い始めたようで、「また買ってきて」と言われた。実は高いので、三月が誕生日のお父さんにプレゼントという形でまたあげるつもりだ。
「多分もう手放せない存在ですよ」
「それはそれは、嬉しい限りです。コンディショナーもあるから良かったらってお伝えください」
営業スマイルでそう言う柏さんに、私は「はい」と素直に返事をした。財布をしまい、
「柏さん、ありがとうございました!といっても、また二ヶ月とか三ヶ月後に来ます。またよろしくお願いします」
とそう言って頭を下げると、目の端で、優しいラベンダー色の毛先が揺れ、落ち着く香りが鼻をかすめた。ラベンダーのオイルを仕上げにつけて貰ったからだろう。
「いつでもいらっしゃい。待ってるよ」
木の引き戸を開けて外に出ると、乾燥した冷たい空気が私を包んだ。
「それじゃあ!」
と見送ってくれた柏さんにお辞儀をして、美容院を後にした。
背後から吹いた風に押されるように、私は駆けだした。揺れる髪から漂うラベンダーの香りが鼻をくすぐった。その香りはこれから挑む就活を、「大丈夫」と、背中を押してくれているみたいだった。