ドアチャイムが鳴った。私にはそれが何かがわかった。玄関の扉を開け、宅配の人からお花を受け取った。私はそれを姉の位牌の前に飾ってから姉を見た。姉はずっと外の雨を眺めている。姉の命日には必ずと言っていいほど雨が降る。今日も雨だ。今、私に見えている姉が幽霊かどうかなんてもうどうでもいい。命日になるといつもいるのだから仕方がないのだ。私は花の送り主の名前が書かれたメッセージカードに目をやった。このままではいけないということは自分が一番よくわかっていた。
「すいません、予約してないんですけど」私は持っていた傘を傘立てにさしながらそう言った。
受付のまだ学生のようなあどけない顔をした女の子が「少々お待ちください」とカウンター上のパソコンを見つめた。
店内は、以前と変わらず、きれいなお姉さんたちが忙しく働いていた。見覚えのある人もいたが、私よりも明らかに若い人もいて、ふと、ああ、私も年を取ったのだとあらためて実感した。気がつけばいつの間にか姉と同じ年ではないか。
「どうしたの?」聞き覚えのある優しい声が奥から近づいた来た。
「こちらのお客様が予約を取られてないみたいで、だけど予約が一杯でして」
「ええと、それじゃあ」と言ったところで店長が私の顔をまじまじと見つめた。「鈴……さん、だよね」
「ご無沙汰してます。いつも、きれいなお花を姉にありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。
「えっと、」店長が言葉に詰まったので、「今日は髪を切って欲しくて来ました」と告げた。
「ちょっと、ちょっと待ってて。すぐに準備するからね」
そう言うと店長はばたばたと店のスタッフたちに声をかけ、すぐに理容椅子が一つ空いた。目の前を移動するマダムに「今日はヘッドスパを無料サービスで」と付き添う女性スタッフが小声で言うのが聞こえて来た。何だか申し訳ない気持ちになりながら、私は店長に呼ばれるままに空いたばかりの椅子に腰掛けた。
「鈴さん、今日は僕が切るけどいい?」
店長が鏡越しに言った。初めて会った時と変わらない優しい眼差しだった。
私が頷くとその目尻の皺が何本も寄った。
「いやあ、びっくりした。突然すぎて」
ケープがふわりと私に被せられと、首から上が強調されるように鏡にぐんと映った。
「すいません、散々お世話になってたのにずっと挨拶にも来ないで」
「いいのいいの、そんなのは。全然気にしないで。僕は今、すごく嬉しいから。鈴さんが来てくれて、こうやってここに座ってくれてることが」
「浦島太郎みたいです」
「え」
「こうやって大きな鏡に映る自分の顔を見るの久しぶりすぎて、記憶の中の顔より全然老けちゃってて」
「浦島太郎かあ……どっちかっていうと人魚姫じゃない?」
「人魚姫?」
「うん、でももう暗い海の底には帰って欲しくないからこの髪は切ってもいいよね」
「はい。ばっさり、お願いします」
店長は私の髪をヘアドネーションという病気の子どもたちにウィッグを贈る団体に寄付させて欲しいと言った。
「こんなちりちりの髪の毛でいいんですか?」と聞くと、ドネーション用の髪はブリーチや縮毛矯正を行なっていないナチュラルな髪の毛の方がいいのだと言った。自分の髪の毛が誰かの笑顔になるかもしれないと思うと、なんだか胸の中があたたかくなった。
七年ぶりの縮毛矯正を終え、私は両手で自分の髪に触れた。
うわあ、髪の毛、つるつるだあ。