「何が?」
カトケンは笑いながら、やさしく手先を動かす。
「上履き捨てたの、あたしなの」
シャンプーをするカトケンの手が、ぴたりと止まった。
「覚えてる? 小学6年の時のこと」
「うん、覚えてるよ」
「犯人、あたしなんだ」
「ふーん」
「ふーんって、理由聞かないの?」
「別に、もう忘れた」
カトケンはシャンプーを続ける。何事もなかったかのように、指先は温かいまま、鈴花の頭皮を洗い続ける。理由は簡単。カトケンが好きだったから。カトケンに振り向いてもらいたくて上履きをこっそりゴミ箱に捨てた。カトケンが泣いた姿を見たら怖くなって、放課後一人で学校に戻り、ゴミ箱から上履きを戻して下駄箱に戻しておいた。小学生の単なるイタズラとはいえ悪質で陰湿で、今までずっと隠していたことが鈴花にはもう我慢できなかった。
「それって勇気あるね」
「勇気?」
「今さら言わなくてもいいことだし」
「言いたかった。ずっと謝りたかった。タイミングがなかっただけ」
「そっか」
至って冷静にカトケンは指を動かす。シャンプーの泡がきれいに流されていく。
このまま自分の醜い過去も洗い流してくれたらいいのに、そう思うと鈴花の目から涙がこぼれ落ちた。
「ごめんなさい」
カトケンは何も言わずタオルの端で鈴花の涙をやさしくぬぐった。鈴花はますますこらえきれず小学生に戻ったように泣いた。だって好きだったから、カトケンの前ではいい子でいたかったから、本音を言ってしまえば楽だけど、言えないのはこんなにも苦しい。
「馬鹿だなぁ」
と、カトケンは呆れて笑った。バカみたいだと鈴花も思う。でも今日はカトケンに謝りに来たのだ。それが果たせたのだから馬鹿でいいのだ。
シャンプーが終わり、アロマオイルを使った頭皮のマッサージをする頃には、鈴花もだいぶ落ち着きを取り戻していた。
「頭、こってるね」
「え? どういうこと」
「頭も肩みたいにこるんだよ。こるということは血のめぐりが悪いってこと。だからこうしてほぐしてあげないと」
と、カトケンは入念にマッサージを続けた。鈴花は口にこそ出さなかったがマッサージは実に気持ちがよかった。店に入る前の鈴花は身も心も石のようにカチコチだったのかもしれない。でもカトケンに本当のことを話してしまうと、いつの間にやら緊張はほぐれ全身がリラックスしていた。マッサージも終わる頃、カトケンは照れ臭そうに言った。
「話してくれて、ありがとう」
店を出る頃には雨はすっかりやんでいた。
「今度、前髪切ってくれる?」
と、鈴花はカトケンに言った。
「いいよ」
カトケンは相変わらず真っ白い歯を見せて笑う。そこには小学生時代の、丸坊主の少年が立っているように鈴花には見えた。鈴花が帰ろうとすると、
「今度ごはんでも行こうよ」
と、カトケンの声がした。
「いいよ」
鈴花もそう答えた。
歩道には水たまりがあちこちにできている。鈴花は半ば楽しそうに飛んだり跳ねたりしながら表参道の駅へと向かった。道すがら、ふいに空を見上げると、ぽつんと桜の花が咲いていた。前髪を切ろう。思い切って髪の色も変えてみよう。小さな桜にそう約束すると、鈴花は改札口の階段を下りていった。