表参道駅から歩いて十分ほど、住宅街の中にその美容室はひっそりと佇んでいる。ツタのからまった洋館のドアを開けるとふわりとアロマの香り。
「いらっしゃいませ」
という声に誘われ、鈴花は入口近くのソファに腰を下ろした。店内を見ると週末なのに思いの他すいている。早目に予約して良かったと、鈴花は用意されたおしぼりを広げた。あったかい。外は桜のつぼみもふくらみかけている。なのにここ数日は冬に逆戻りしたように風が冷たい。春が来たのはうれしいが、同時に花粉症もやって来るこの季節が鈴花にはどうも苦手だ。
「今日はどのようになさいますか?」
担当の高原さんがにこやかにやって来る。高原さんは会うたびにいつも髪型が違う。職業柄、といえばそうだろうが、前回は前髪もしっかり下ろしてガーリー調だったのが、今日はその前髪をひっつめにして額もあらわ。そのきれいなおでこにはしばし見入ってしまうほど。
「あ、いつもの感じでお願いします」
「いつもの感じ、ですね。どれくらい切りましょうか」
「2センチくらいで」
高原さんは大人っぽいマニキュアの指先で鈴花の中途半端に伸びた毛先に触れ、かしこまりました、と笑顔で応えた。
シャンプー台に通されてすぐさま、鈴花は後悔の念に押し寄せられた。
本当は「いつもの感じ」から抜け出したい自分に気づく。
前髪、少し切ってみようかな。
髪の色、もっと明るくしたら印象変わるかな。
ここに来るまでは色々と髪型を調べて、「いつも」の自分ではない自分を想像してみる。が、変わるにはそれなりの勇気がいるのだ。高原さんのような美容師ならまだしも、一介の会社員がイメチェンしても世の中何も変わらない、そんな気持ちが鈴花を「いつも」の自分にしてしまう。
「それではシャンプーしますね」
やや低めの男性の声がする。鈴花は返事もせずにシャンプー台の椅子の上で目を閉じた。いっそパンプスも脱ぎ捨てこのまま眠ってしまいたい。
「お湯の温度、大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
そう言うのも面倒くさい。が、お湯の温度は適温で、シャワーから流れる音は心地よいBGMのよう。ほのかなバラの香りが鼻をつく。地肌にあてないよう、ちゃんと泡立てた手のぬくもりが指先から伝わってくる。ほどよい指圧、なめらかな洗髪にやがて鈴花の気分はうっとりとなる。
「気持ち悪いところなど、ありませんか?」
ほんのわずかな間、鈴花は眠っていたのかもしれない。思わず「はい!」と言ったもの、まるで授業中に突然当てられた小学生みたいだ。
「それじゃ、椅子起こしますね」
椅子が自動的にリクライニングすると、男性は鈴花の髪をやさしくタオルで拭きとり、「席にご案内します」と言った。