鏡の前に座ると、否が応でもありのままの自分に対面することになる。この時間は特に化粧も崩れスッピンに近い。中島鈴花、26才。独身。大学卒業後は食品メーカーに就職。現在は営業職。日々スーパーを歩き回り自社の調味料を宣伝する毎日。営業成績苦戦中。ただいま恋人募集中! そんな肩書きが鏡の前では全てお見通しな気がした。
「分け目はこの辺でよろしいですか?」
その声ではじめて鈴花は男性の顔を鏡越しに見た。
黒髪の、やや長髪の彼は、にっこりと笑って鈴花の顔を見ている。真っ白い歯並びの、このさわやかな笑顔は……。
「カトケン?」
鈴花は思わず振り返り男性を見上げた。それは紛れもなくカトケンだった。昔の同級生が今はピアスをあけ、おしゃれなファッションに身を包み、鈴花の目の前に立っている。
カトケンの本名は加藤健太郎。同級生には「カトケン」と呼ばれていて、鈴花も小学生の頃からそう呼んでいる。こんな突然の再会に何を言っていいのか分からず「分け目、その辺で」と答えるのが鈴花には精一杯だった。
カトケンは役目を終えると担当の高原さんが来てカットに入った。小気味よいハサミの音が店内に響きわたる。
「昨日うちの小麦とあんこ、珍しくケンカしたんですよ」
小麦とあんこというのは、高原さんが飼っている猫たちの名前だ。インスタでもお見かけする小麦は名前のごとく小麦色のトラ猫で、あんこもその名の通りあんこ色の猫である。
「お見せしましょうか?」
ハサミの手をいったん止めて、高原さんはスマホを出す。画面には二匹の猫がにらみあい「う~」と鳴いているだけなのに鈴花の心は癒された。花粉症な上、猫アレルギーでもある鈴花は直に猫に触れることができない。それでも猫好きなことを高原さんはちゃんと覚えていて、最新の小麦とあんこの映像を見せてくれる。都会に美容室はたくさんあるけれど、この美容室に鈴花が通うのは猫がとりもつ縁なのかもしれない。
施術が終わり、鏡に映った自分に鈴花は思わず「うわぁ」と声を出す。高原さんの手にかかると、最初にオーダーした「いつもの感じ」が微妙に違うのが分かる。毛先に丁寧にハサミが入っているせいか、動いた時、ほんの少し表情が違って見えるのだ。生まれ変わった感じ。そう言っても過言ではない。
会計が済み、ドアを開けようとすると、カトケンが来てドアを開けてくれた。
「またのお越し、お待ちしています」
気取って言うので思わず鈴花は笑った。
「いつ美容師になったの?」
「うち、親が美容師だから」
「あ、そうだったね」
もう十年以上も会っていないのに、自然に会話がすらすら出てくるのは同級生ならでは。
「髪、似合ってるよ」
一瞬、鈴花の胸が波立った。ありがとう、も言えず鈴花は急いで店を出た。
表参道はすっかり夜の街に姿を変えていた。恋人たちが肩を並べ楽しそうに歩くのを横目で見ながら、鈴花の足取りはなぜか軽やかだった。