弥月と顔を見合わせ声が揃ってしまった。なぜなら町川君も名古屋出身だからだ。町川君も舞衣ちゃんも不思議そうに僕達のことを見ているが、どうにも歯がゆい。隣の会話を全部聞いていなくても初恋・転校・名古屋、これだけのワードが聞こえてきたら少しくらい勘付いても良いんじゃないかお二人さん。
そんな僕の気持ちとは裏腹に目を合わせることもなく、”あっ!“とドラマのようにお互いが声を出すような展開はない。
「お願いします」
弥月が一言、僕にそう告げる。大体のお店は仕上げをスタイリストが行う。つまり舞衣ちゃんはもう帰宅直前だ。
「ごめん、またちょっと離れるね」
町川君の後ろから舞衣ちゃんの後ろへ移動。その数秒の間にも頭の歯車はグルグルと音を立てて動いている。
手にヘアオイルを取り、キレイに巻かれた髪を整える。美容院に来て、女性が最も可愛くなる瞬間が訪れる。せっかくだから完成したこの姿で初恋の人だと気付いて欲しい。
しかし、無情にも時間は過ぎていく。素早く丁寧にスタイリングを終え、弥月が大きな二つ折りの鏡を渡してくる。鏡を広げ、側頭部から後頭部の仕上がりを確認して貰うためだ。
「どうしたんですか?」
不思議そうに舞衣ちゃんが僕に聞いてくる。出来るだけ町川君が映るように側頭部を長めに映してみたが効果はないようだ。
「はい、お疲れ様でした」
クロスを取り、ガコンとペダルを踏み椅子を半回転させる。笑顔で立ち上がる舞衣ちゃん。
次は町川君の仕上げだ。ワックスを手に取り、町川君をかっこよく仕上げていく。
手にワックスを馴染ませながら、溜息を付きそうになるがグッと堪える。もうこの二人が同じ時間に来るような奇跡はないだろう。また二人が別々に来たら少しずつ確認して、連絡先でも交換して貰うか。いや、お客さんのプライベートにそこまで踏み込むことは出来ない。やはり二人が一緒にいるこの瞬間にどちらか片方でも気付くことが出来ないと。
そんなことを考えているうちに町川君のスタイリングを終え、クロスを取っていた。ワックスでトップに束感を出し、さらに好青年に仕上がっている。
舞衣ちゃんは受付で弥月からカバンを受け取り、会計を終えようとしている。
「町川君、ちょっとごめんね」
受付に向かい、舞衣ちゃんのお見送りをする。
「舞衣ちゃん、ありがとね」
「ありがとうございました」
出口に向かおうとする舞衣ちゃん。
「ああ、舞衣ちゃん! あの、今日、懐かしい感じしなかった?」
「えっ? いえ、特に。なんかいつもより変ですよ?」
笑いながら舞衣ちゃんが答える。最後の抵抗を試みたが敢え無く撃沈。
「それじゃ、また来ます」
再び、出口に向かう舞衣ちゃん。やっぱりダメだった。
その瞬間、出口の方を向く僕の横を通り過ぎる影が横目に入る。
「あのっ」 町川君だ。
キョトンとした顔で振り返る舞衣ちゃん。
「落としましたよ」
腰を落とし、地面に触れているタオル生地のハンカチを拾い、舞衣ちゃんに差し出す。
舞衣ちゃんは、会計の時にハンカチを落としていた。僕らからは受付の台で見えなかったが、町川君は、鏡越しに落とした瞬間が見えていたようだ。
「えっ、あっ、すみません」
照れ笑いを浮かべ、慌てて引き返す舞衣ちゃん。
「ありがとうございます」
ハンカチを渡す瞬間、町川君と舞衣ちゃんの目が合う。
“あっ”
その瞬間、明らかに二人は同じ感情を抱いた。
驚いた表情の舞衣ちゃんの目は大きく、照明でキラキラと輝いている。ハンカチが町川君の手から離れる。
その時、思わず僕は目を見開いた。糸だ。赤い糸がたらりと地面に触れ、お互いの小指に結ばれ繋がっている。
二人は、どうすれば良いか分からないまま見つめ合ったままだ。
瞬きをして二人の小指を見たが、もう赤い糸は見えなかった。