「おねえちゃん、この辺りの言葉やないみたいやけど?」
「え、ええ、東京から」
「あらぁ、旅行?」
「こちらに知り合いがおりまして」
「こんな田舎に、ようお越しで」
咄嗟にそう応えた。いろいろ、詮索されたくなかったから。
「うちねぇ、今日で店を閉めるのよ」
「えっ?」
真理子さんの口から飛び出した思いがけぬ言葉に私は驚いた。
「年齢のこともあるし、お客さんも随分と減っちゃったからね」
こんな偶然があるだろうか。数十年ぶりに、ふらっと立ち寄った美容室が長年の歴史に幕を下ろす日だとは。
「いつから、されてたんですか?」
「五十年前、ちょうど二十五の時に店を出したんよ」
「五十年も!」
まさかの私と同級生だった。
最後の日に来店した私に、真理子さんは饒舌だった。人通りのまばらな駅前の様子から、私が最後の客になる可能性は大いにあり得る。刻々と時間は経っていくが、水を差すようで電車のことなど口に出せなかった。
話は弾みながらも、手際よくカットは進んだ。
「はい、お疲れさん」
真理子さんがハケで髪の毛を払い落とす。床に積み重なる髪は随分と長く、その分、頭が軽くなったことを実感する。
「こんな感じで、どないかな?」
視線を鏡に向けたまま、私は首を左右に動かした。右から左に流した前髪に、肩に少しかかる長さのボブヘア。意外と悪くない。鏡越しに見る真理子さんが優しく微笑んだ。
なんとなく、ゆっくりと時が流れているような感じがした。
「よく、似てきたねぇ」
「えっ?」
「ミヨちゃんに、よく似てるわ。立派になったねぇ」
真理子さんは母のことを「ミヨちゃん」と呼んでいた。
「わかってたんですか?」
「もちろんよ」
「母も、ずっとこのヘアスタイルでしたね」
「少し丸顔やから、よく似合うんよ」
「それ、嬉しくないうちの家系です」
私は笑った。旅の者と偽った自分が恥ずかしかった。
母との関係性が悪くなったのは、私が三十過ぎの頃だった。帰省した私に向けた一言がきっかけで。
「仕事もいいけど、はよ結婚して孫の顔でも見してほしいもんやわぁ」
まったく時代錯誤な発言だと思った。仕事に励み、趣味を楽しんでいた私は、人生を謳歌していたつもりだった。しかし、母のようなことを言う人は、私の周りには決して少なくなかった。その度に自分を否定されているようでうんざりしていたのだが、まさか肉親からも同様の話を聞かされるとは思ってもいなかった。良き理解者であり、一番の味方だと思っていたのに、ひどい裏切りにあった気分だった。
今となれば大人げないと思うが、私はその一言に過剰に反応し、帰省を避けるようになった。意地っ張りな性格は母譲り。母もあまり私に連絡をよこさないようになった。
「姉ちゃんが倒れた。脳梗塞やって」