母の十三回忌。久しぶりに帰った故郷には、相変わらずのっぺりとした景色が広がっていた。次の田植えを待つ渇いた田んぼがひたすら並び、枯れた用水路が農道に沿って延々と続く。何にも遮られることのない北風が、容赦なく吹き抜けていた。
これが人生最後の帰省と決めていた。そう母の墓前で告げ、故郷との縁を切った。如何なる感情もこみ上げてこなかった。いや、押し殺していたと言うべきだろうか。どの感情が正しいのか、自分でも分からなかった。だから……
ただ、「さようなら」と、呟いた。
田舎街にある駅はたった一つ。一時間に一本の電車を乗り過ごすと、駅の周辺には時間を潰す場所さえない。学生の頃からそうだった。あれから数十年の月日が流れても、それは変わらない。
なのに、タッチの差で乗り遅れてしまうという凡ミスをした私。決して私が悪いのではない。知らぬ間に腕時計が遅れていたのだ。とは言え、それに気付かなかった私が悪いのかもしれないが。
誰もいない無人駅のホーム。走りゆく一両編成の電車を見送る私は、まるで旅立つ恋人を見送る乙女のよう。なんて、今年で五十になるのに柄でもない。
「マジか……」
マジだ。私は駅舎を背にして駅前の景色を眺めた。いや、呆然と立ち尽くした。都会の駅前なら必ずあるコンビニすらない。カフェもない。あるのは白地に黒い文字で『ショップ川口』とセンスのかけらも感じられぬ看板を掲げる商店、その隣に並ぶ『真理子美容室』くらい。あとは一階部分を駐輪場として貸している民家と、退屈そうに煙草を吹かす運転手のいる寂れたタクシー会社。以上。
ショップ川口と真理子美容室はずっと、昔からある。二日前に着いた時には陽が落ちていたので気付かなかったが、未だに変わらぬ佇まいで営業していることに驚いた。私が物心ついた時には既に存在していたので、私と同級生くらいか、もしかすると、ずっと年上かもしれない。
いつも、母は真理子美容室でカットしていた。そして、その時は隣のショップ川口に立ち寄るのが決まりだった。好きな駄菓子を買い、カットしている間は待ち合いの椅子に座って食べるのだ。屋号にあるように真理子さんという名の美容師が、いつも私に絵本を差し出してくれた。「ゆっくり待っててや」と。
歌謡曲が流れ、ヘアスタイリング剤やシャンプーなんかの香りが漂う空間が、私は好きだった。なんだか、大人の仲間入りしたような気がしたから。
「いらっしゃい」
一歩、店に足を踏み入れた瞬間、数十年の時を超えたような錯覚を感じた。そこには、幼き私が記憶したのと同じ光景が広がっていた。