叔母から連絡があり、数年ぶりに再会した母は意識なく目を閉ざしていた。
「母さん……」
それから最期の瞬間まで、言葉も気持ちも一方通行のままだった。
「ミヨちゃん、ひどいこと言ってしもたって、後悔してたよ」
真理子さんの言葉に私は下を向き、そっと目を閉じた。鏡に映る自分の顔を直視できなかった。
「ミヨちゃん、旦那さんを早くに亡くして寂しかったんよ」
「ダメな娘ですね……母に申し訳ないです」
真理子さんの手が、そっと私の肩に置かれた。
「そんなことないよ。ミヨちゃんはカットに来るたびに言うてた。娘は東京で頑張ってるって、母親と違って出来のいい自慢の娘やって、ね」
「ありがとうございます……」
予期せぬ言葉に、私は声を絞り出した。
「ちょっと待ってて」
真理子さんはそう言うと店の入口の方へ向かい、ドアを開けた。カタン、と小さくドアのガラスを打つ音がした。店内からガラス越しに『営業中』の札が見えた。
「私の美容師人生はこれでおしまい。あなたが最後のお客さん。実はね、最初のお客さんはミヨちゃんやったんよ」
「そうなんですね」
嬉しいような、悲しいような、寂しいような……分からない。とにかく、私の胸はとても熱かった。
それから、私は真理子さんから母の話をたくさん聞いた。
「ミヨちゃんは子どもの頃から気が強くて、頑固な子やったんよ」だって。
少しだけ自責の念が和らいだ気がした。こんなにも強くその気性を引き継いだなら、母は私に何も言えないはず。
「似た者同士ってことですね」
「そうそう!」
真理子美容室は、とても優しい空気に包まれていた。私は真理子さんとの会話に夢中だった。
気が付くと、一時間が経とうとしていた。外に目をやると、電車がゆっくりとホームに入って来るのが見えた。
「あっ!」
「電車? 急がんと!」
私は僅かに浮かせたお尻を椅子に下ろした。
「いいんです。次の電車にしますから。行きたい所があるので」
私は最後に店内を見渡した。今から五十年前、まだ全てが輝きを放つ真新しいこの場所で母は髪を切り、気分を一新して日々の仕事に励んだことだろう。
「はい、誕生日プレゼントよ」
「やった! これ欲しかった人形や! 母ちゃん、ありがとう!」
その先に幼き私の笑顔があった。
「また、顔見せてね」
「真理子さんもお元気でいて下さい」
そして、今、長い歴史が終わる。私は大きく息を吸い込んだ。懐かしい香りを、ずっと忘れないために。
私は母の墓前へと急いだ。さっきの言葉を撤回しなければいけない。感謝の気持ちを伝えなければいけない。
早足で歩く私には、冷たい北風が心地よく感じられた。