祖母は「まぁ、驚いた」と言い、続けて「こんな良い場所で髪を切ってもらえるなんて、何年ぶりのことなんだろうね」と言いながら素直に喜んでいた。
祖母は彼にエスコートされながら、ロッキングチェアに座ると、両手で髪の毛を束ねながら、鏡に映る自分の姿を見て「私も大分、お婆ちゃんになってきたわね」とぼやいた。
それから彼と祖母との共同作業が始まった。当初はヘアカットのみの予定だったが、ふたりの話合いによって、シャンプーとヘアカラーが加わるようになった。移動式のシャンプー台に祖母の頭を乗せ、美容室御用達のシャンプーが泡立つと、なんとも言えない良い香りが居室内を漂った。やがて一度目のシャンプーを終え、ヘアカラーのカラー剤が祖母の髪へと丁寧に塗られていく。ヘアカラーが浸透するまでの待ち時間には、暖かいコーヒーと小さめのビスケットが提供され、祖母はいつも読まないようなファッション雑誌の本を眺めながら、鼻歌を歌っていた。
訪問美容師の彼の手によって、徐々に気力が戻っていく祖母をみながら僕は感動していた。いつまでも美しくありたい。それは幾つになっても変わらない人としての願望であり、女性にとっての嗜みであった。そしてそれは祖母であっても例外ではなかった。例え軽度の認知障害に苛まれようとも、生活に様々な制限が出てこようとも、人は自分自身に誇りをもって生きていきたいのだ。
ヘアカラーが終わり、ヘアカットもスムーズにおこなわれた。彼が手慣れた手つきでハサミを動かすと、祖母の髪の毛は綺麗に整っていった。やがて施術が終わり、祖母は見違えるように生まれ変わった。白髪交じりでぼさぼさだった髪は、艶のある黒髪へと変り、整えられた髪型は、祖母を10歳程若返らせていた。生気を失っていた、その瞳からは自信が満ち溢れており、プライドを取り戻した祖母の姿がそこにはあった。
片付けを終え、訪問美容師の立ち去った後、祖母は久しぶりにグループホームの人達の顔が見たいと話し、一張羅に着替えたいから介護職員を呼んで欲しいと僕に頼んだ。
僕が女性の介護職員を呼ぶと、祖母は自慢げに髪を靡かせて見せた。見違えるほど変化した祖母に対し、介護職員は大きな口をあけて驚いていた。その後、男性の僕は居室から追い出されることとなった。
以上が、僕が訪問美容師を目指すようになったきっかけである。あれからというものの祖母の生活は良い方向へと向かって行った。グループホームの人達とも仲良くなり、笑顔でいる時間が誰の目から見ても明らかに増えていった。そして月に一度、訪問美容師の彼にヘアカットしてもらうことが祖母のとても大切な行事となった。
僕はというと、今現在、美容師免許を取得するために市内の美容専門学校へと通っている。超高齢化社会を迎えた日本では、介護施設で生活を営む高齢者が爆発的に増えている。また自宅で暮らす高齢者も非常に多く、そしてその殆どが美容室に行くための移動手段を失っている。そのなかで、行った先で美容院を開くことができる訪問美容師の存在意義は実に大きい。高齢になっても美しく、プライドを持って生きていけるかどうかは、僕の目指す訪問美容師が描く未来にかかっている。