僕が訪問美容師を目指すようになったきっかけは、晩年の祖母の生活を目の当たりにしたからだった。祖母は85歳の時に軽度認知障害(通称MCI)と診断された。当時の祖母は責任感が強く、プライドの高い女性だったため、医師の診断をすんなりと受け入れることが出来なかった。祖母は「私はぼけてなんていませんから!」と僕ら家族に言い放ち、そのまま自宅の離れへと引っ込んでしまった。
祖母は悩みごとや問題を抱えると、離れへと引っ込む癖があった。祖母はいつもそうやって凡そ一週間、外界への接触を断ち、自分自身の気持ちと向き合い、考えを整理する。そして次に自宅の戸を開ける頃には、まるで憑き物が落ちたかのように清々しい表情となり、いつも通りの生活へと戻るのだった。
祖母はいつも通り自宅へと戻ってきた。医師の診断から一週間と3日後のことだった。自宅では夕食の最中だったため、祖母以外の家族が居間に勢ぞろいしていた。母は、祖母の顔を見て席を空けた。祖母は母の空けた席に座ると、僕たち家族に向かって、静かに、しかし確かな口調でこう言った。
「私はとうとうぼけてしまったみたい。きっとこのまま家族と一緒にいると迷惑ばかりかけてしまう。でも私はそんなことは望んでない。出来るだけ早く、介護施設に入りたい」と
それから祖母は、自宅から車で三十分程度の場所にある認知症対応型グループホームへと入所することになった。認知症対応型グループホームとは、正式名称、認知症対応型共同生活介護と呼ばれ、認知症のある人達が、家族的な環境のもと、地域住人との交流を図りながら暮らしていく場所のことであり、ほとんどの施設がアットホームさを売りにしていた。祖母が入所したグループホームの施設長も、家族のような雰囲気を大切にしていると謳っていた。入所当初、祖母は同じようにグループホームで暮らす人達と積極的に話すように努めていた。僕や母は祖母がすぐに施設の生活に溶け込むことができるだろうと感じていた。
問題が起きたのは、それから一カ月程経った頃だった。グループホームの施設長から母へと電話がかかってきたのだ。電話の内容はというと一度施設に来て祖母の様子を見て欲しいとのことだった。施設長によると施設に入所してから二週間後、祖母は自身の居室へと引きこもってしまったのだそうだ。僕と母は『いつものだ』と思い、あまり心配はしなかったが、施設長の熱意に押され、一度施設を訪れることにした。
祖母の部屋は、角部屋の105号室だった。鍵が掛かっていたため、ノックをすると、「誰ですか!」と祖母の声が聞こえた。その声は怒りに満ちており、少しだけ声が震えているようにも感じた。母は扉越しに自分の名前を伝えた。しばらくすると、扉のロックが解除され、僕と母は祖母の居室へと入っていった。
そこに居た祖母は、以前の祖母ではなかった。白髪交じりの髪はぼさぼさ、服もぼろぼろで、目に生気が感じられなかった。居室の中には、使用済みの衣類や尿取りパットが散乱しており、部屋全体が尿臭で満たされていた。祖母は、力なく地べたに座り込んでいた。僕と母は一体何があったのか理解出来ず、ただただその情景に圧倒されていた。