誰も何も頼んでないが、自分の中の小さな自分が「せっかくだからおしゃれにしろ。」と囁いてくる。
「・・・。」
しかもずっと囁いてくる。
矢吹さんがこちらをじっと見つめてくる、視線だけは感じる。
授業中だからか、もしくは緊張からなのかは自分でも分からなかったが、目を合わせる事は出来なかった。
「ねぇ、ちょっとお願いがあるんだけど。」
授業終わりと同時に話しかけてきた。
「・・・何?」
緊張で頭に血がのぼるのが分かった。
「あのさ・・・。」
矢吹は可愛らしい笑顔を向けてくる。
放課後。
教室には自分と矢吹さんしか残っていない。
「・・・。」
矢吹さんは黙々と問題を解いている。
頼み事はなんの事はない、「勉強を教えて」だった。
最近学力が落ちて、今度の期末テストでさらに成績が落ちると親がうるさいと言っていた。
「・・・。」
誰もいない教室に2人。部活動の音が響き、いつもと同じ空間だけれど胸がずっと高鳴っていた。
「ねぇ、ここはどうすれば良いの?」
矢吹さんは教書を反転させ、分からないところを指差す。
「ああ、これはね。」
2人きりの動揺を必死で隠しながら、正解の解き方を教える。
「んん~。」
頭をフル回転させるかのようにこちらの説明を聞いている。不謹慎かもしれないが、困っている表情がとても可愛かった・・・。
時計を見ると6時になっていた。
「よし、今日はこんなもんでしょ。」
矢吹さんはそう言って、シャーペンを机に置いて大きく伸びをした。
「ありがとう。何か無理言ってごめんね。」
「・・・いいよ。別に無理はしてないし。」
「・・・あのさ、黒木が大丈夫だったらまたお願いしていい?」
「え、あ、うん、別にいいけど。」
「本当?!ありがとう!助かる!」
断る理由などどこにもなかった。嬉しそうに矢吹さんは机の中のものをカバンに詰め、帰る準備を始める。
「黒木ってさ、将来何になるの?」
突然の質問にまた緊張してしまった。
「いや、別に決まってないけど。」
「ふ~ん。頭いいのにもったいないね。」
「えっと、じゃあ、矢吹さんは?」
「私?私はこれ。」
そう言ってカバンから一冊の雑誌を取り出す。それは髪型のカタログのような本だった。
「それは、えっと、美容師?」
「当たり。私美容師になりたいんだ。」
満面の笑みをこちらに向ける。
「へ~、もう決まってるんだ。すごいね。」
「ふふふ。こういうの見て今から勉強しとくんだ。」
得意げな表情を浮かべる。
「え、じゃあ、僕の髪型を考えてくれない?」
咄嗟に言葉が出てしまった。話す話題が欲しかったのか、本心で言ったのか自分でもよくわからなかった。
「いいよ!じゃあちょっとそのままじっとしてて。勉強のお礼に真剣に考えるから。」
そう言って少し距離を取ってこっちをじっと見つめる。