はるかは軽く鼻をすすると、私の目をじっと下から覗き込んでいた。私よりだいぶ背丈が低く、彼女と正面きって向き合うと、時たま彼女の胸元に目がいってしまう。
よれた青いブラウスの襟首から覗く、贅肉のない涼やかな鎖骨。
そこから少し目線を上げれば、何を考えているのかわからない、小鳥か猫みたいな瞳と目が合う。
あ、ペットみたいで可愛いって意味じゃないよ。私、小動物は基本不気味だと思ってるから。自分はかわいがられて当然という容姿をして、なんだか天上から送られてきた異次元の生命体みたいな神性すら感じさせるのに、呆気なく死んでしまう。
私には可愛くて小さな存在を愛せる人たちの気持ちがわからない。
そんなものに心を委ねたら、あぶなっかしいじゃない。それは心に余裕のある人が出来る仕草だし、なんなら心に余裕のない人はペット飼うの禁止って法律で決めて欲しい。
だから、目の前にいる可愛くて小さな女の子と、いや胸だけはやけに主張が激しいけれど、それすら男にアピールすることすらなく、私にばかり甘えてくるはるかと、これ以上近しい関係になることが、少し怖い。
「よかったぁ。途中まで電車おんなしだよね、一緒に帰ろー」
そんな私の気持ちなぞお構いなしに、はるかは私の脇の間にするりと腕を絡ませて、強引に歩き出す。
はるかの胸元から、フィアンセのシャボンの香りがする。それはアスファルトを撫でる風に乗って、私の鼻先をかすめた。石けんの匂い。夕暮れ時のお風呂の匂い。安い香水だけれど、飾らないはるかにはよく似合う。
不意に―――
懐かしい、と。そんな感情にとらわれた。
甦るのは、いつのものか、誰のものかも知れない記憶。
この記憶の中で、私の体は、目線の高さからすると浴槽より目から上がはみ出すくらいの背丈しかなく。やけに広々とした、垢汚れも目立たないで清潔な浴槽の外側から、夕方の風呂場に差し込む淡い西日を見上げている。
陽射しを遮るように、大人の女性が裸で先に浴槽に入っているシルエット。彼女は私の脇を抱えて持ち上げる。陽の光が目をかすめて、私は思わず目をつむる。
ただ、それだけの瞬間。やくたいもないフラッシュバック。
これが余人であれば、ありふれた家族の時間を不意に思い出したのだとして納得するのだろうか。世間一般というやつであれば。
「なんだったんだろう、今の……」
でも、しつこいようだし、自分でもあまり再認識することに思考をついやすのは好きじゃないのだけれど、つまり私はたしかに孤児だったのだ。
あれは、施設の浴場とは似ても似つかない。
「なんだったのだろうって、何が?」
さすがにこれみよがしだった独り言を聞き逃さず、はるかが首を傾げる。
「え、聞こえた?」
「待って。逆に聞こえないと思うの? 聞こえたよーっ」