だから、誰かがそれをやってくれればいいんで、べつにおじいちゃんじゃなくても良かったんじゃないかな。
メメズ係はかけがえの〈ある〉存在でした。
返す返すもごめんなさい。ボクは薄情な孫です。
謝る前に祖父は逝ってしまった。
しかし、死ぬとわからなかったらば謝罪しようとは思わなかったであろうから、後悔が先に立たないのは致し方ない。
*
三和土も元にもどり、祖父のいない生活というものが平常になろうとしていた頃だ。
井沼さんが訪ねて来た。
祖父とは年賀状の遣り取りをしていたところ、父から年賀を辞退する旨の葉書が届いたという。
お悔やみやら焼香やらを終えて、
「由美は大きくなったよ」
問わず語りに「由美〈は〉」と言われて、ボクは赤くなった。
まるでボクが由美ちゃんのことを聞きたがっているみたいじゃないか。そのとおりだけど。
大きくなるとは成長したということで、胸とかもふくらんだわけで、もともと可愛かったのがもっときれいになったわけで、ボクのことをおぼえてくれているらしくて、ボクは再会できたら嬉しいです、じつはずっと気にかけていたんです、ボク。
心の中が井沼さんに見透かされている。
「蒲田に来たらさ、三人で食事しようよ」
はい、でも、井沼さんは来なくていいです、おじゃま虫です。
とは口にしなかった。
おじいちゃんには、釣り場について来なくていいよって言ったくせにね。
以来、由美ちゃんとの面会が始まった。せっかく父娘の面会日なのに、ボクは悪びれもせず、いそいそとおじゃま虫に出かけたよ。
*
10年後の冬。
「猫の鍋焼きってできるかな?」
「また慧ちゃん、ヘンなこと言って」
いや、僕もヘンかもしれないけど、この店もヘンだよ。
間口が二間(≒3.6m)足らずなのに奥行きがヘンに深い。京都の町屋風とも言えるが、元は遊郭だったという説もある。
赤提灯がぶら下がって、その名も居酒屋『猫族』だ。
入ると奥へ向かってカウンターが延びて、左側が厨房、右が椅子席になってる。
同時に、古本の洞窟でもあった。
『古書』の分厚い木製看板が表に掲げられて、店内は壁面すべて本。奥の六畳二間も本棚の林だ。
ブックカフェならぬユーズド・ブック居酒屋で、井沼さんが脱サラして始めた。
昼間は家主が古本屋を営業し、夕方5時からは井沼さんと入れ替わる。そういう賃貸条件なので、駅に近い割には格安とのことだ。
由美ちゃんは区内の女子大に通っていて、こうして井沼さんの店でバイトしてる。
松坂慶子みたいに色白で、声すら透きとおる美人になった。