母の言葉は、のぼせ逆あが上っていた頭を冷やして、今後のことをじっくり考える切っ掛けになったことは確かだ。母から膝をつき合わせて意見されたことで、私はしんし真摯にこれからの人生と正面から向き合うことができた。
今の時代は、私たちの頃とは生活も随分変わったし、それとともに考え方も変わった。だけど心は変わらない。だから本当に大切なことはやはり膝をつき合わせて話さなくてはならない。だから私も、母と同じように、娘に伝えたつもりだ。もっとも成り行きで多少異なる部分もあったが。
しかし……。私は、母のように上手く『ねっ』を言えただろうか。
帰りの電車の中、私はハンドバッグから一枚の写真を取り出す。夏美に見せるつもりで持ってきたけど、途中で気が変わった。
近所の居酒屋の二階を借り切って開いた、私たちの結婚披露パーティのスナップ写真だ。それらしい飾り付けもないので、よく忘年会と間違われる。当時、私たちは経済的に余裕が無かったので、会費制にして、堅苦しくならないようにと普段着で集まってもらった。会社の同僚や友人達に囲まれて、夫も私も満面の笑みを浮かべている。父は出席こそしなかったが、母にお祝いを届けさせた。
私たちは、披露宴の招待者名簿を練ることで、自分たちの人生にどれほど多くの人達が関わっていて、いかにその人達に支えられて今があるか、改めて知らされた。この先、家族が増えるにつれ、更に付き合いの幅も広がり、支えられるばかりではなく、支える側の比重も当然増していく。節目、節目に、形にこだわることで、何となく心構えみたいなものができた。母はそれを人生の器と表したのだろうと、私は思っている。
人生の器は、大き過ぎて中身がすかすかでも寂しいし、小さくてあふ溢れるようではそれも困る。そろそろ私達も見直す頃合いかも知れない。
写真を仕舞って、私は窓の外に目を向ける。そのせつな刹那、青い看板が飛び込んできた。
――あっ、あれかしら。
よほど注意してみていないと見逃しそうだ。青地に白い大きな文字で『青写真』と書かれ、その左上に小さく『喫茶』の文字が見える。
――何よ、まったく! あの娘ったら、そそっかしいわね。
私は文句の一つでも言ってやろうかと携帯電話を取り出したが、しばらく逡巡した後、仕舞い込んだ。
ことの始まりは、青写真という言葉だった。今日は、まず散らかしっぱなしになっていた夏美の憂さを片付けて、その後で母からもらった言葉を彼女に伝えるだけのつもりでいたのに。
――おかげで余計なことまで、しゃべっちゃったじゃない。
私は再び電車の揺れに身を任せる。少し西に傾いた日がぽかぽかと心地よい。