ろくでもなくなくなる決心をしたろくでもない達夫は、結局ろくでもないままだった。だから真紀子とも結局、ほんの数ヶ月で別れてしまった。真紀子と一緒に住み始めてからの達夫は、最初の一ヶ月くらいこそ、仕事を終えるとまっすぐに帰ってきて、真紀子と正文の二人が待つ家に帰って楽しく過ごしたが、しかしあまりに真紀子が正文の面倒をよく見るので、恋人になったばかりだというのにすでに達夫からすると妻であり正文の母であるように見えたため、燃え上がっていた思いが少し小さくなり、それで元どおりろくでもない人間に戻ってしまった。と、真紀子と出会った居酒屋で飲んで泣きながら達夫が後悔していたらしい。後悔するくらいなら端から馬鹿なことはしなければいいのに本当にどうしようもない父親だと正文は思ったが、真紀子も真紀子で、達夫との関係はかなり勢いによるところが大きく、まだ若かった真紀子は、これで本当によかったのかな、こんな簡単に人生を決めちゃって、という疑念が達夫と住み始めて早々に浮かんでいて、その矢先に達夫のろくでもなさが露呈されて目が覚めた。と、達夫と離れて故郷に戻った真紀子は親しい友人などに語った。だから達夫と離れる決心をするときに、真紀子の後ろ髪を引いたのは達夫よりむしろ正文で、ほんの数ヶ月とはいえ、まるで自分の子供、というより弟? くらいの年齢の子とずっと一緒に生活している中で、真紀子の中にも母性のようなものが芽生えた。この子、こんなろくでもないお父さんと一緒に暮らしていて、大丈夫かな、私が居なくなっても、平気なのかな。と思った。達夫の元から離れる前日、正文をプラザランドまで連れてお出掛けをし、観覧車に一緒に乗ったときに、ねえまーくん、実はお姉さん明日でたっちゃんとお別れしちゃうんだけど、まーくんも一緒に来る、と聞いた。まーくんと呼ばれている正文は、一緒に来る、という言葉を聞いて、その言葉の意味が分かるようで分からず、首を傾げた。真紀子も言ってから、自分は何を言っているのだ、と我に帰り、たしかに達夫はろくでもないが、正文は虐待をされているわけでもなし、達夫の父親としての良し悪しは置いといて、一応は父親であることには違いない。そんな中、自分が正文を連れて家を出るというのは、ごく客観的に見て、誘拐だ。それに真紀子が家に来る前までは、仕事で正文の面倒を見られない達夫に代わって、達夫の母親、つまり正文の祖母が面倒を見ていたので、それほど心配をする必要もないだろう。もちろん母親がおらず、父親と過ごす時間も希薄な正文に対して、まったく心配いらないと言い切るのは乱暴だと思うが、正文は正文で飄々としたところがあり、友達も多く元気によく遊ぶし生意気なところまである。自分が正文のことを心配しすぎるのも余計なお世話だろう。と思い、真紀子は、ううん、うそうそ、まあね、そういうことだから、明日でさよならだね、と正文に言った。あの時もし本当に真紀ちゃんと一緒に家を出ていたら、どうなっていたのだろう。優しい真紀ちゃんと一緒に楽しく暮らせただろうか。と、正文は孫と観覧車に乗りながらようやく、初めて観覧車に乗ったとき一緒にいたのは、達夫の恋人だった真紀子という女性だ、と思い出していた。でも本当に真紀子に付いて蒲田を出ていたら…と考えて、いや、そしたらしのぶも生まれていなかった。それじゃあだめだ、だめすぎる。よかった、あのとき真紀子に付いて蒲田を出てなくて。としのぶを見て正文が思う。
真紀子が出て行って十数年が経ち、正文は二度目の観覧車に乗ることになる。後に妻となる透子と一緒にきた。当時貧乏だった正文は、懇意にしている透子を遊園地に連れて行くと言い、この屋上遊園地にやってきた。遊園地と言うから、色々な乗り物があるような広い遊園地を想像していたが、正文が連れてきた屋上にある小さな遊園地は少しこじんまりしていて、子供なんかの姿も多く、ムードは無くて、正文とのデートに少なからず期待していた透子は肩を透かされた感じになるが、正文もそれを感じていたのか、あれえ、こんな狭かったかな、昔は広かった気がするんだよなあ、と小さな頃の記憶を思い起こして比べては、間が悪そうにして頭を掻いた。見た目は強面なのに、自信無さげにそわそわする正文の姿がおかしくて透子が笑い、いいじゃない、ここ、観覧車も小さくて可愛いわ、と正文への気遣いと本心の両方からそう言い、言われて正文はすぐ調子に乗り、だろだろ、いいんだよ、ここ、とプラザランドを褒めた。その後、正文は透子を誘い観覧車に乗るのだが、並んでいる時から、前後の列を埋めるのは子供か子供連れの親などばかりで、二十代の男女二人で乗り込むのを透子はなんだか少し気恥ずかしくも思ったが、正文の方では、透子と二人きりになれる観覧車に少し気分が高揚している様子。観覧車が頂上に到達しようとすると、正文が透子の顔をまじまじと覗き込むように見た。気づいた透子が、どうしたのまーくん、と訊くと、正文が、透子ちゃん、ほっぺになんか虫ついてる、と言った。やだ、とって、と透子が慌てて言い、うん、取ってあげるから、こっちに顔近づけてみなよ、と正文が言う。言われるがまま顔を近づけると、すぐ目の前に正文の顔がある。ねえ、と言い笑う透子。なに? と正文。虫なんて本当についてるの? ついてるよ。うそ、ついてないでしょ。ついてるよ、疑うんじゃないよ。絶対うそ、そうやって言って、キスしようとしてるんでしょ。違う違う、そんなことしないよ。いいえ、絶対するわ。とやりとりしているうちに観覧車が一周してしまい観念した正文、その日の帰りに透子の住む家まで送っていく途中にあった公園で、初めて透子とキスをし、それからちょうど三年後に同じ場所でプロポーズをして透子と結婚をした。