そういう沢村たちに、これもまた安堵感からか「お布団敷いてくれる?」と思わず頼むと田中さんがはいよはいよ、と敷いてくれ、どっこいしょと亜希子をその上に寝かせてくれた。ありがとう。
次の日気づくとドアの新聞受けに鍵が入れてあった、どこまでも気が利くね、沢村君。
「ちょっとこういうのやめてくれる?」
迷惑をかけた沢村にそれにコートに吐いて汚してしまったお詫びにチョコレートとクリーニング代を包んだ封筒を渡すとチョコだけもらっとく、と封筒は押し返されてしまい、数日後、仕方なく菓子折を送ったら言われた。いいヤツなのだ、沢村って。
医療機器を販売する沢村達の部署の顧客は病院の医師やスタッフがほとんどだ。
午後の営業に向けて満面の営業スマイルを作るため、お昼は抜くことも多いのだと沢村が話していたことがふと頭をかすめる。
亜希子はなぜ自分がその人に惹かれたのか、不思議な気もした。
入社後十年以上過ぎた今、発注システムの変更だの予算の編成だの後輩の指導だの、様々な雑務を含めた仕事が亜希子のところに廻ってきた。結婚退社する者はとっくにし、結婚した同期で仕事を続けている人とは心の余裕が大きく違っているように思えた。出産育児休業をとっている同期もいるし、復帰した人もいる。まだ、家庭を持たず、物事を頼みやすい亜希子のところには、本心ではやりたくもない仕事もまわってくるのは損な役回りと考えるのは独身者の偏狭な考えだろうか。かといって、何かこれがやりたいという特別な思いを仕事に対して感じることもなく、どちらかというとおとなしいタイプに見られる亜希子にとっては、会社とは一つの自分の居場所ではあるが入社して時の経った今でもどこか違和感を感じる場所でもあった。異動はあるものの、数年同じ部署にいるとそこそこ自分を出して仕事をやりやすくもできる。でも、一つのフロアに二百人余りが机を並べるオフィスで、十数年前に就職氷河期といわれる中やっと入社した会社で細かい仕事に神経を使っている自分は、本来の自分そのものとは遠くかけ離れたところにいるようにも感じ、得られる達成感、ストレスなどとともにその距離感違和感は年々大きくなるようにも思えた。
そんな中で、その人がおそらく本当に「いい人」で痩せぎすで、初めてあった時に志はあっても売れない画家のような、ある意味会社の中では現実離れしたものに見えたからかもしれない。
もしくは三十代も半ばに差し掛かっていながら一つの恋が終わって間もなかったからかもしれない。何かなければ、世界が色あせて朽ちてしまいそうに思えたからかもしれない。
その人のいる部署に異動して、数週間後、残業をしていた日のこと。
オフィスに人もほとんどいなくなって、「まだ帰らないの?」とその人から言われて、思いきって聞いてみた。
「森田さんはなぜ離婚されたんですか?」
一瞬の間の後、
「もともと合わなかったんだろうね、多分。学生の時からつきあっていてそのまま結婚したんだけどさ。それから、子供の教育のことやらなんやらで俺の親が結構口を挟んだりするうちになんかぎくしゃくしてきちゃって。」
パソコンを見ながら、その人はとつとつと話し始めた。正直に。
森田さんは、奥さんと離婚後、中学生と高校生の子供を一人で育てていると聞いた。