沢村の声が聞こえる。そうか、沢村くんには、蒲田駅の近くに住んでることは伝えてあったんだっけ、そこから先は徒歩十五分、重い頭が回復すれば説明できるんだけど、まだ麻痺しちゃってるよ。
沢村は、営業カバンからパソコンをだして、タクシーの中でいじり始めた。
「これって個人情報ですよね、でもこういう場合は仕方ないか。」
年賀状用に年末に部署全員に配布された住所録から亜希子の住所を探し当てると、運転手に行き先を告げる。さすが、沢村君、できる営業は違うねぇ、亜希子は心の中で賞賛する。
亜希子は吐き気を抑えつつ、やっと自宅のマンションに着いたのに気づく。
あいにくエレベータのない4階建てマンションの階段を沢村が亜希子をおぶって登ってくれる。痩せているほうの亜希子だが、3階にたどり着くまでに沢村の息がきれ、真冬だというのに額にあせが滲みでてくる。小柄な田中さんは亜希子のバッグを持って付いてきてくれる。
沢村君、二児のパパだからな、頼りがいあるなぁ。いつか年賀状でもらったきれいな奥さんとかわいい女の子二人姉妹の写真が頭をよぎる。
「確か三階だったよな、今井ぃー、三階の何号室?」
沢村の声に、
「304号」
亜希子が声を絞り出す。
「304号?304号なんてないぞ。今井―、ほんとに304号?」
確か、去年の夏に引っ越してきた部屋は304号、いや、303号だったか。
ぼやける頭。304号、304号、そうだ、304号は、以前つきあっていた彼、あれは彼と呼べるのか、一応彼が住んでいた埼玉の部屋の番号だった、間違えた。
「303号」
亜希子が言い直すと、あったあった、鍵あるかな?と沢村と田中さんの声が遠くに聞こえる。
田中さんが亜希子のカバンをガサガサ探して、ビンゴという声が聞こえる。カバンのポッケに鍵いれてたんだけどよくわかったな、田中さん。
やっと家に帰れた、これで一安心。狭いけど、息をつけるわが家。
「懐かしいなぁ。」
ドアを開けたとたん、沢村の声。
「一人暮らしの時、こうゆうとこに住んでたなぁ。」
沢村は転職組だが、以前の会社のあった大阪に数年いたと聞いたことがある。結婚する前だから十年以上前の話だろう。
安堵感からか、亜希子は我慢していた吐き気が一気にこみあげてきて、うっと口を押さえると、沢村はすばやく台所からフライパンをつかんできて間一発、亜希子の吐瀉物をキャッチしてくれた。
「今井ぃー、じゃ、俺たち帰るからさ、ゆっくり休んでね。」