さらっと言った一言が、一瞬冗談で言ったのかと思うほどだったが、体が大きくて体力明るさともに営業向きといえる砂原の表情は、いつになく真顔で静けさを放っていた。
沢村が、先輩の田中に水をむける。
「田中さんは実はバツイチなんですよね。」
「そう、実はね。」
田中は亜希子のほうを向き、ニッと笑う。
「五年もたてばそれも昔の話よ。今は2歳の息子の相手で土日もクタクタよ。」
田中は、薄くなりかけた前頭部をおしぼりでぬぐう。
田中は9歳も年下の再婚した奥さんがいて、共働きということもあり普段も息子をお風呂に入れたり、寝かしつけたりとやっと最近新米パパが板についてきたのだという。
「オレももう四十だからさ、ずいぶん遅いパパだよな。」
頭髪こそ多少年齢を感じさせるものの、どちらかというとダンディーな田中が生活感のある顔を見せる。田中にそんな過去があるのも知らなかった。いつ頃からか、会社でプライベートな会話を一切しなくても事足りるようになった。
「奥さんとはどこで知りあったんですか?」
「それは、取引先の関係でたまたま知り合ったというか、」モゴモゴモゴ・・・。
はっきり言いたくないのか、田中の声が急にフェードアウトする。
その後は飲み会の騒々しさが増していった気がする。
気がつくと、飲み会は終わっていて皆が帰り支度をしている様子。
亜希子は、机の上につっぷしている自分に気づくが、眠くて眼が開けられない。
「今井ぃー、もう帰るぞー。立てるかぁー。」
同期の沢村の声は遠いが頭上にはっきりと聞こえる。
こういうのを酔いつぶれるというのだろう、亜希子はどうにか眼をこじあけようとしてみるが、一瞬開けた眼には万華鏡のような光がさっと走るばかりで、像が結ばない。
私、どっかが麻痺しちゃってるな、どうやって帰ろう、このままじゃ、電車で帰るのは無理だな・・、でも頭は一応回転している。
「今井ぃー、聞こえる?俺と田中さんがタクシーで送っていくことになったからさ、立てるー?」
沢村の声になんとかうなずく。
沢村くん、同期のよしみみたいなやつかな、意外にというと失礼だけど親切だな。まあ、このまま放って帰るわけにもいかないだろうな。
でも、頬や背中をバンバンたたかれたような気がする。声は聞こえるんだけど、その先の神経につながらないのよ。
亜希子は沢村と田中に両脇を抱えられて立ち、タクシーに乗る。
「とりあえず蒲田駅まで。」