次は何日に集合と約束はしないけど、店の前に自転車があれば、三田さんが来ていると分かった。センセイと「今日は三宅さん来ないね、忙しいのかも。」と話して待った。三田さんが来ない時もあった。店は営業時間は書いてないけど、夜の七時半頃には三田さんも私もセンセイに気を使って帰るようにしていた。七時には懐かしい鳩時計の音が鳴り、今日はあとちょっとの合図だ。
センセイはレジを打つ時、人差し指で全部押していた。腰が悪いようでいつもレジの後ろにパイプ椅子に座っていた。店の後ろが自宅になっているので、たまに奥から奥さんが来て、「お風呂をわかしますよ。」とセンセイに声をかけたりする。重いものは運べないので、センセイの息子さんがお酒を配達していた。
ある時、三田さんが来なかった日に、センセイとこの町の昔の話をした。近くのお寺の行事に参加した写真や、昭和中期くらいの高田酒店の外観の写真等を見せてくれた。私はその白黒やセピアの写真に魅入った。ずっとここに店があって、センセイはずっと同じ仕事をしている。当時、就職活動をしていた私は仕事は選ぶものだと思っていたのでずっと同じ場所にいて同じ仕事をし続けていることは不思議に思えた。
夏は、冷房がついていないので、酒店はとても暑い。センセイが団扇を貸してくれたので、汗をかいて団扇を仰ぎながらビールを飲む。冷房に慣れている私にとってこの体験は新鮮であった。体感温度が高い分、センセイが冷蔵庫から持ってきてくれる瓶ビールの冷たさが際立ち美味しかった。
夏の終焉と共に就職先も決まり、後は卒業論文を書くために大学の図書館に通った。時間を持て余していた私は帰りによく高田酒店に行っては、特にバイトも勉強もしていない日でもセンセイと三田さんと「お疲れ様です!」とビールを飲んだ。
何もしない、夏・秋が過ぎて、冬になった。高田酒店は夏は暑く冬はとても寒い。暖房は古いストーブしかないので、これまでさんざん飲んだビールは冷たい。センセイも椅子に座り、ちゃんちゃんこを来てひざ掛けをして店番をしていた。センセイと三田さんの勧めで、店の電子レンジでONEカップの大関を一分間温めて飲むようになった。アルコールが少し飛びマイルドになる。私はここで初めて熱燗のおいしさを学んだ。
年が明けると、卒業論文もほとんど書き終わっていた。大学の友達とお別れ会をしたり、就職を機に引っ越すことになったので部屋を片付けて荷物をまとめた。その際、アパートにある電気ストーブをセンセイにプレゼントした。
「これで冬も大丈夫。」
と、センセイは嬉しそうに笑い、早速足元にストーブを置き使ってくれた。
引っ越しの前に高田酒店に行った。
三田さんは、
「仕事、頑張ってや。実家にもたまに帰るんやぞ。」
センセイは
「また遊びに来て下さいね。」