「あたしは、てっきり死んでると思ってさぁ」
守はつい笑ってしまった。昔から木下さんはシリアスな場面でも人を笑わせる才能がある。
「笑いごとじゃないよ。ほんとにそう思ったんだから。よくテレビでもやってるでしょ。殺人現場かナンかでこう、人がバタッて倒れてるシーン」
「あるある」
「あれあれ。まさかそんな場面に出くわすなんてさぁ。あたしも年じゃない? 心臓がバクバクしちゃって。こっちも心臓発作で倒れるかと思ったよ」
「それは……申し訳ありませんでした」
守は思わず頭を下げた。
「なーんて。ウソだけど」
頭を上げると木下さんはにこやかに守を見ている。全くどこまでが本当でどこまでがウソなのか。
しかし倒れている父を見つけて、救急車を呼んでくれたのは木下さんである。一緒に救急車に乗り込み、入院の手続きをしてくれたのも木下さんだ。今、父が生きていられるのは、紛れもなく木下さんのおかげなのである。
病院の面会時間が来るまで、守は庭の雑草抜きをした。東京の真夏の真っ昼間の太陽がこんなに暑いとは。だいぶ背の高くなった芙蓉をどこまで切るか迷ったが、木下さんの垣根にかからないよう思い切って短く切った。
だいぶ庭がすっきりした頃、「差し入れ」と、木下さんが冷えたサイダーを持ってきてくれた。
「あら、芙蓉の木、切っちゃったの?」
「え? はい、だいぶ茂っていたので。そちらの庭にも花が落ちてしまっているみたいで」
「いいのに。うちの庭、見てのとおり殺風景でしょ。お宅の芙蓉の花が垣根越しに咲くと、何だかパッ―と華やいだ気分になってね。なーんだ、切っちゃったの」
木下さんは今度こそ悲しい眼差しで、無惨にも切られた芙蓉の木を眺めた。そう言われるとこっちまで後悔の念が押し寄せる。
「お母さん、元気?」
「何とか、元気です」
「あのきれいな花見るたびに思い出すのよね、お母さんのこと」
「……」
「大丈夫。芙蓉の木は強いから、すぐにまたぐんぐん伸びるよ。ああそうだ、これ」
と、木下さんは紙袋から弁当箱のような容器を出した。
「リンゴ。病院はほら、ナイフとかダメだから。お父さんのところ行くなら、持っていって」
にっこり笑うと、木下さんは杖をつきつき家へと戻っていった。
そういえば木下さんには子どもがいない。守がまだ小さい頃から木下さんはよくリンゴを届けてくれた。実家が東北のリンゴの産地らしいが、実際にどの県の人なのかも分からない。リンゴは保存食で重宝するが、あまり時間が過ぎると「フカフカしておいしくない」と言うのが木下さんの口癖だった。当時、木下さんのご主人は個人タクシーの運転手をしていたと思う。庭にギリギリ入るくらいのタクシーが今はないところを見ると、もう引退してしまったのだろうか。
「わりぃな。見舞いなんか来させちゃって」