深夜、駅前でピンクの上下を着て、化粧をしたおじさんが一人で黙々と踊っているという噂を聞いたことがある。そのおじさんを見かけると幸運が訪れるらしい。
だが、ピンクおじさんの顔面のファンデーションは蛍光灯の下で浮いて生々しく、幸せからは遠い気がした。
「私のことは、先生とお呼び」
一同は唖然としたが、真田だけは背筋を正した。
「先生、よろしくお願いします!」
先生は満足そうに頷いた。
「今日から、皆さんとレッスンをします桃井です。時間はありません。早速、ストレッチから」と自らが手本となってストレッチを始めた。
平山も同じように屈伸をしたり、大股を開いたりした。普段、ろくに運動をしないので、伸びをするだけでも気持ちが良かった。だが、体は硬い。桃井が前屈で悠々と床に手をつけていたので、只者ではない気がした。
平山は、桃井が本当の意味で化け物に見えた。
音楽をかけると桃井は、水を得た魚のように踊った。
今回の為に作られた曲(蒲田在中のミュージシャンに太田垣が依頼した)は、アップテンポだが、歌詞はのんびりとしていたので、ダンスも難しいものにはならないと平山は想像していた。
だが、目の前で繰り広げられたのは、本気のダンスであった。
アクロバットな動きがあるわけではない。だが、大胆かつ繊細なものであると素人の平山でも分かった。
しかし、分かったと出来るは別の話。平山と高橋はてんでダメであった。真田、樹里亜、小春は経験者なのか、形にはなっていた。
ヘトヘトになって、最初の練習は終了した。
「次回までに、覚えといてね。それじゃ」と桃井は、可愛らしく片手を挙げて去った。
静まり返ったスタジオにさめざめとした泣き声が響いた。平山は小春が泣いているのかと思ったが、彼女は怖い顔で真田を見つめていた。樹里亜もそれを意識し、わざとらしく「一番上手だったよー」と小春の頭を撫でた。
真田は、それを全く意に介していないかのように整理体操をしている。確かに彼女が一番、上手だったように思えた。
では声の主はと、見渡すと高橋が床にへたり込んで泣いていた。
「大丈夫ですか?」
平山が声をかけると一同の視線が高橋に集まった。
「無理よ。こんなおばさんには、無理なのよ」
何を今更と思うが、そうは言えない。
「初日なんですから。私も……」
「出来ない!」高橋が声を荒げた。
「じゃあ、辞めれば」
そう言い放ったのは、真田であった。
「無理してやる必要ないんじゃないですかね。時間もないことだし。そんな人がいたら、出来るものも出来なくなります」
真田は強気な女の子であった。平山は驚いた。だが、高橋に抜けられるわけにもいかない。自分はこのグループを集めた側でもあるのだ。
「頑張りましょうよ。来週の練習まで時間もあります」
この場を丸く収めようと思ったが、「わーん」という叫び声とともに高橋は自分の鞄をひったくって、スタジオから飛び出した。
「甘いんじゃないですか? このタイミングで、これしかいないメンバーの一人があれじゃあ。それに、小学生が――」
「大丈夫です」
樹里亜も強気だった。
「うちの子は、幼稚園の頃からバレエも習っていたし。ねっ」と樹里亜が小春を見た。小春が真田をきっと見上げながら口を開いた。
「お姉さんこそ、大丈夫?」
小春も強気な少女であった。
「大きいお姉ちゃんは、せいぜいママに褒められてね」
真田は、鼻で笑ってスタジオから出て行った。樹里亜と小春も「お疲れ様でした」と出て行った。スタジオの鏡にポツンと平山だけが映った。
「無理ですよ!」