閑散となった屋上遊園地の中、まだ回転はしているものの誰もお客さんのいなくなった観覧車のゴンドラに、孝太郎がひょいと乗り込んだ。それは、赤いゴンドラだった。
「ん? 今、一人で乗った?」
「ああ……。どういうことだろう」
孝太郎が何をしようとしているのか皆目見当がつかない和希と愛美が、頻りに首を捻る。
とそのとき、ゴンドラのガラス窓の向こうで金色に光る口紅を孝太郎が取り出したのが見えた。下の部分をくるりと廻し、ゴンドラと同じ、真っ赤な口紅部分を尖らせる。
「ゴンドラの中、一人で化粧するのが趣味なのかな?」
「う、うん。そ、そ、そうかもな」
思わず手に汗を握った、二人。
だが、孝太郎を載せたゴンドラは上昇していき、二人の視界からじいさんの姿が見えなくなった。何をしているのか、分からない。
「肝心なとこが見えないぞ!」
「……本当にね」
想像を逞しくした愛美の額に、緊張の汗が流れた。同じく想像の世界へと旅立った和希の喉が、ごくりと鳴った。
数分が経過し、六時ちょうどになった。
息を飲んで待つ二人の前に、たったひとりのおじいさんを載せたゴンドラが屋上地面へと帰還した。
「やあ、すまんかったな」
笑顔の孝太郎が、軽く右手を上げて運転係のおじさんに会釈した。
そして、壁の陰に隠れる二人の横を鼻唄混じりで通り過ぎ、下へと向かうエレベータに乗り込んだ。
「口紅なんか塗ってなかったな」
「ええ、そうみたい」
孝太郎を載せたエレベータが動き出したのを確認し、二人は観覧車の運転室へと向かった。そこには、帰り支度を始めた係員のおじさんがいた。
突然現れた二人の姿に「うわっ」と驚きの声をあげたおじさんだったが、すぐに彼らに注意する。
「こら、だめじゃないか君たち! もうとっくに終わりの時間は過ぎてるよ」
「ごめん、おじさん。実は、どうしても気になることがあって――」
「ひとつだけ、おじさんに訊きたいことがあるの」
二人の必死の形相に、つい、おじさんの腰が引けた。
「な、なんだ? じゃあ、話を聞いたらすぐに帰るんだよ」
「うん、ありがと。……じゃあ、質問。今帰ったコータローじいさん、ここに毎日来てるの?」
「ん? 孝太郎さんか? ああ、ほぼ毎日来てるよ」
おじさんの顔には、“怪しい秘密”を語るときのような緊張した表情はなかった。寧ろ、その逆。目尻を下げ、優しく微笑む。
それが不服だったのか、和希が口を尖らせた。
「だってコータロー、さっきゴンドラの中で口紅出して、にやにや笑ってたんだ。たった一人しかいない、ゴンドラの中でだぜ! それに、口紅も毎日持ち歩いてるみたいだし……。ちょっと怪しくないか?」
愛美が激しく同意するように、首を上下に動かした。
おじさんは小さな吐息ひとつを鼻から吐き出すと、先程孝太郎が乗ったゴンドラに視線を向けた。
「ああ、そのことか……。ならば今日は特別だ。あのゴンドラの中を見せてやろう」
おじさんの後について、恐る恐る赤いゴンドラの中に入った二人。
ゴンドラの両側にある座席のひとつに手をかけたおじさんは、まるで財宝の詰まった宝箱を開けるように、その座席の上の部分をそろそろと開けた。
「こ、これは!」
宝箱の蓋に当たる座席の裏側にあったのは、元々はカラーだったのかも、と思えるほど印刷の薄くなったモノクロ写真だった。
涼し気なノースリーブの服を着た、かなり美人な女性の上半身が写された年代物の写真。ここの宣伝ポスターだったらしく、“KOMOTO園”という屋上遊園地のロゴの入った図柄の中で、かつての観覧車を背にしてにこやかに笑っている。