「気持ちが落ちつかなければ、明日、僕の家に行く予定は延期しよう。急ぐことはない。納得しながらやろう」
十三年前まで住んでいたアパートの事前訪問は、予行演習のつもりで、私が希望したプランだった。彼が提案した次の行動プランもあった。
「これから、小学校へ行く?」
恐る恐る彼の顔を覗き込んだ。
「今日はやめよう。君は因縁の場所に行くと十三年前にタイムスリップしてしまうんだ。だから、今日は蒲田の楽しい場所に行くことにしよう」
彼の瞳に、情けない私が映っていた。ごめんなさい、と心の内で謝った。歳末とあって、サンライズ商店街は賑わっていた。駅前広場の《あすへ 走れ》という少年と少女の走る姿の銅像の前でツーショットを撮った。
銅像は幼い日の彼と私のようだった。
駅ビルに隣接する東急プラザの屋上に上がることにした。彼は楽しかった幼い日の情景を、私に思い出させようとしていた。
蒲田に住んでいて、小学校四年生までは楽しかったのに……彼は私の言葉を拠り所に行動しようとしていた。
屋上は、子どもの楽園だった。子ども電車もゴーカートもあって、子どもたちが嬌声を上げて遊んでいた。
彼は私の手を引いて、観覧車の列に加わった。並んでいる人たちはほとんど子ども連れだった。
最初にこの観覧車に乗ったときを思い出していた。父母と姉と私、それに似た家族が観覧車に乗り込んだ。下の子がはしゃいでいる。それはあの日の私自身だった。
次は私たちが乗り込む。観覧車が揺れる。
「実は僕はおばあちゃん子でね。懐かしいな。おばあちゃんが大好きだったんだ。何回一緒に乗ったんだろ」
彼は目を細めながら眼下に広がる景色を眺めている。
「何年ぶりかな。十五年ぶりかもしれない。おばあちゃんが元気なうちにもう一度一緒に乗りたかったなあ」
去年の暮れに亡くなったというおばあちゃんのことを、彼はしきりに繰り返す。
蒲田での幼い頃のエピソードは似通っていた。遊んだ場所も眺めた景色も。
家族と楽しんだ蒲田での日々が、私の脳裏に甦ってきた。大人になって巡り合った二人は、子どものときも蒲田のどこかですれ違っていたのだ。蒲田の印象が彼の優しさで徐々に塗り替えられようとしていた。
暗闇から陽光が差し込んできた。
「明日、あなたの実家に行けると思う」
私は小さい声だったが、はっきりと言った。
「そうか。それじゃあ、前祝いだ。焼き鳥屋に行くぞ」
彼はスマートフォンで誰かに電話をした。親しげなやり取りで馴染みの店だと分かる。
「貴賓席を予約したぞ」
おどけて言う彼の表情は悪戯っ子のようだった。
4
バーボンロードの真ん中辺りにその店はあった。
店に入ると店内はほぼ満席状態だった。
「よっ! 色男」