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商店街を抜けて、古い住宅が立ち並ぶ場所まで来たときに、足が止まった。
外階段のある木造モルタルの二階家は確かにあった。私の記憶は間違いではなかった。
行き交う人々で賑わっていた空間から人が消えてしまった。私だけが取り残されていた。もうこれ以上、行かないほうがいいよ。誰かが耳元で囁く。
その声に逆らって、歩を進めた。目の前にアパートが現われた。
アパートの203号室にサッちゃんが住んでいるはずだった。自分の部屋に閉じこもったサッちゃんはどうしてもそこから動きたくなかったのだ。
「ここよ。このアパート」私は震える声で指を差した。
「行っておいで」
彼は微笑みながら頷く。一人で先に行こうとしていた私に彼は黙ってついてきてくれた。温かい眼差しに押されて、私は階段を上る。上から見下ろすと、彼は小さく手を振った。
「ここで僕はずっと待っているから、安心するんだ」
階下から彼は、心優しい言霊を投げかけた。
大家さんから借りた鍵を鍵穴に差し込む。本当にサッちゃんはいるのだろうか。もしいたとしたら、どう声をかけようか。
逡巡する気持ちのままドアを開けた。
そこは明かりから遮断された灰褐色の空間だった。目を擦ってよく見た。目の前に食卓があって、椅子が四つある。食器棚と冷蔵庫などきちんと配置されていた。
三和土(たたき)に靴を揃えて、足を踏み入れた。年季の入ったフローリングから悲鳴のような軋む音がした。足の裏から床の冷たさが伝わってくる。
ダイニングキッチンの奥には左右に六畳間がある。私は迷わずに右手の部屋に入った。右奥に学習机があった。
「サッちゃん、いる? 返事して」
私は明瞭に告げた。
返事はない。雨戸で締め切った部屋は、キッチンのシンクの前の四角い窓の曇りガラスから入ってくる明かりしかなく、どんよりとしている。
学習机の下に女の子の白い靴下が見える。立て膝をして両手で膝を抱えていた。
いったい彼女はいつから、そうしているのだろう。私は込みあげてくる感情を抑えて声を張り上げた。
「サッちゃん、サッちゃん。そこにいるんでしょ。返事をしてちょうだい」
やはりそうだった。彼女はいまだにそこにいたのだ。そのとき憎悪に近い女の声が後ろから襲いかかった。
「今日も学校に行かないの。学校に行かないの。行かないの。どうして行かないの。なぜ行かないの。どうして」
まるで機関銃のようにサッちゃんの頭上に声が降りかかる。サッちゃんは両手で両耳を押さえたまま声が止むまで待っていた。
「やめて! うるさいんだよ」