「彩乃、今日から同じ時間の奥山君ね。少し騒がしいかもしれないけれど、ちゃんと俺から注意するからね」
マサトを紹介すると、課題の手を止めて顔を上げた彩乃も目を見開いた表情をした。マサトは彼女の方を見ようとはせず、ほほをあからさまに赤くしている。彩乃は「よろしく」と小さな声で照れくさそうに言った。彼女がそんなふうに自分から口を開いたのに私は驚いたが、マサトは彼女の言葉に応えずに黙ってしまった。この二人には何か事情がある。それは明らかだったが、私は講師心得に忠実にひとまず触れずにおいた。
翌日、マサトから個別指導の時間を変えてほしいと申し出があったことを塾長から聞かされた。保護者に確認すると、母親は聞いていないとのことだった。既に組んでしまった時間割を急に変えることは難しいから少し待ってほしい、女性事務員はとりあえずそう彼に返答した。塾長はどう講師のシフトと教室の割当てをやりくりして彼のために新しいコマを作るか、数日頭を悩ませていたが、次の週にはマサトはもう要求を取り下げた。
「あんなガキでも大事な『お客様』。大人の気も知らないで気軽に言ってくれるよ、まったく」
塾長は苦笑した。
3
実家に戻ってしばらくは母の作る食事をとっていたが、近ごろは週の半分ぐらい夕食を外で済ませるようになった。塾から帰ると夜十時近くで、遅くまで母を待たせておくのが悪いと思ったからだったが、駅前の飲み屋街には安くて旨い店が多いというのもあった。特に気に入っているのが、中国人の夫婦がやっている担々麺屋だった。「これがほんとの担々麺よ。四川ではほんとはこれよ」とヤンさんが言う、小さなお椀に入った汁なし担々麺はパンチの利いた山椒の辛味が最高である。これと水餃子に生ビールの小とを頼んで千円だから、通わない手はなかった。「ここは酔っ払いとかメチャクチャな人もいるけど、いい街ね、いい街。近所の人も優しいよ」と奥さんは口癖のように言った。夫婦の息子は隣駅の蒲西高校で野球をやっていて、二年生の最初からエースピッチャーなのだそうだ。自慢の息子らしく、ヤンさんはよく携帯で撮った試合の写真を見せてくれる。でも、野球のルールはムツカシクて覚えられないと言うので、思わず吹き出してしまった。もっとも、野球経験者でも野球のルールを覚えきるのは至難の業である。ヤンさんの店は看板だけ残ってシャッターが下りたままになっている元「呑々村」のすぐ近くだった。この店に初めて来たのは五月ごろだったが、「私も昔高校で野球やってたんですよ(補欠だけど)。夏の大会が楽しみですね」と言ったら、以来私のことを気に入ってくれたらしく、三回に一回は青菜炒めをタダで付けてくれるようになった。一度だけ練習帰りと思われるヤンさんの息子を店で見かけたことがある。あの年齢の運動部員らしくぶすっと不愛想で、ウッスと軽く会釈だけして二階の部屋に昇っていった。背はそれほど大きくはないが、後ろ姿の肩甲骨が惚れ惚れするぐらい隆々と盛り上がっていた。
夏の予選、ヤンさん夫婦の息子の高校は残念ながらベスト8で敗退したが、3-2のスコアで、終わってみれば優勝校相手に一番善戦したチームとなった。日本に来て中学で初めて野球をしたというのに大したもんだよ、と店の常連客達は褒めた。ヤンさん夫婦は野球の強豪校に入れてやっていれば確実に甲子園に行けたのに、と自分たちが野球も日本の高校もよく知らなかったことを今さらたいそう悔やしがった。