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『呑々村の子どもたち』伊原文樹

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 大学院の博士課程をあきらめて、私が塾講師としてこの街に帰ってきて四ヶ月が過ぎた。もっとも、十八歳から十二年一人暮らしをしていたとはいえ隣の県だったし、毎年盆と正月には帰省していたわけだが。しかし、あらためてこの街に住むとなると、やはり様々に感慨がわいた。高校時代のときのままの自分の部屋は、たまの帰省で数日間いるだけならよかったが、毎日となるとどこか気恥ずかしいような居心地の悪さがあって、さっそく模様がえに取り組んだ。相変わらず無口な父の頭には白いものが増えた。母の左ひざが曲がらなくなったのはいつからだったか。先日、塾の授業を終え遅い帰宅をした私を、居間のソファーに座って迎えた両親を見たとき、ふと二人とも少し小さくなった気がした。「いつかその塾の正規の職員になれるのよね。なってもらわないと困るわ」と小言を言いながらも、母は私が返ってきたのを喜んでいるようだった。私の方は、ありがたいという思いと照れ臭さと、三〇歳になってまだアルバイトの身分で実家暮らしをすることの申し訳なさとがもつれあった気持ちで胸がむずかゆくなった。
 私が実家に戻ってきたのは、桜が咲く前のまだ寒さが残る時期だったが、気がつけば今年もうだるような夏がやって来ていた。冬はなぜかほのかに甘いにおい(おでんの季節だからそのしょうゆ出汁のにおいだろうか)のするJR駅前から続く飲み屋街も、夏になるとこんどはすえたにおいがする。おう吐物の跡は年中道のあちこちにあるが、夏の方がにおいもきつい気がする。あとは食べ物の足が早くなるのと、人々の体臭だ。特に高校の野球部の生徒たちが集団で通るときには鼻をつく独特のものがある。去年、近所の都立高校が夏の甲子園に出たときは、母親が嬉しそうな声でわざわざ電話をかけてきた。結局、甲子園では一回戦で負けてしまったが、商店街も飲み屋街もその話題で盛り上がっていたらしい。たしかに、強豪私立がひしめく東東京から都立校の出場は久しぶりで、全国ニュースにもなっていた。
 今年は残念ながら都立校は予選で早くにみな負けてしまった。七月に入って夕方に商店街を集団で歩いていたのは、代替わりした一二先生たちだろう、高校生といってもまだ幼い感じのする子たちだった。私もかつて、高校球児だった。野球の強豪校では全くない、お勉強に力を入れている私立高校だったけれども
 私立校どうしの東東京大会決勝戦はたまたま担当授業がない日だった。自分は甲子園と全く無縁な野球部員だったくせに、それでも懐かしい思いにひたりながらのんびりテレビの中継を見ていたとき、ふと思い出して母に訊いた。
「そういえば、野々村のおっちゃんどうしてる?あの呑々村とかいう居酒屋の?」
「野々村さん?ああ、あそこのおじさんなら亡くなったよ。四五年前に」
 母はけげんそうな顔で答えた。居酒屋もしばらくは奥さんが続けていたが、今はシャッターが閉まったままで、新しい店も入っていないらしい。帰省するたびに、そして、塾への通勤の行き帰りに、呑々村があった場所を何度も通ったはずが、今まで気がつかなかった。

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