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『呑々村の子どもたち』伊原文樹

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 野々村さんは私の実家から二百メートルほどのマンションに住んでいた。息子の祐太郎くんは私の一つ年上で、小学生のころは同じ少年野球チームだったこともあり、よく一緒に遊んだ。祐太郎くんは体が大きくてホームランをばかばか打つスター選手だった。そして、父親の「野々村のおっちゃん」は元ヤクルトの選手だったらしい。高校時代はエースとして活躍し、まだ東西に分かれる前の東京大会の決勝で、あと1アウトで甲子園というところまでいったが惜しくも逆転負けしたそうだ。その決勝での投球が認められてプロ入りを果たし、当時は街のヒーローだった。もちろん、私はそんな当時のことは知らないし、いつも赤ら顔のおっちゃんが地元の女子高校生たちにモテモテだったなどと聞くと、本当かなとも思ったが、周りの大人たちは一目を置いていた。「プロ野球つっても、三年で肩壊して1勝もできないまま引退したんだけどな」と陰口をたたく人も一部にいたけれど。おっちゃんは私が小学生のころは商店街でスポーツ用品店をやっていた。あまり繁盛しているようには見えなかったが、さすが元プロ野球選手、野球道具については詳しい、手入れの仕方はおっちゃんに聞くといい、と野球少年たちが噂していたのを覚えている。
 小学五年生の頃、私は少年野球チームの控え投手だった。祐太郎くんから聞いたのか、ある日の練習の帰り道でおっちゃんにいきなり声をかけられた。
「ヒロくん、最近ピッチャーやってんだろ。おじさんが伝家の宝刀“しょんべんカーブ”を教えたるぞ」
 たしか、それから一週間ほどおっちゃんと毎日特訓をした。気をよくしたおっちゃんが投げる球は、さすが元プロ野球選手、小学生には速すぎて怖かった。おっちゃんに教えてもらった“しょんべんカーブ”はなるほど曲がりが大きく打者の手元でストンと落ちた。私は何試合かリリーフで好い結果を出した。しかし、結局エースにはなれず、六年生になったら中学受験のために野球をやめてしまった。いつしか、野々村のおっちゃんとも祐太郎くんともあまりかかわりがなくなった。祐太郎くんは区立中でやんちゃな生徒のグループに入って、道ですれ違っても怖くて目をそらすようになってしまった。向こうがこちらをどう思っていたかは分からない。おっちゃんのスポーツ用品店が「居酒屋呑々村」に変わったのがいつだったかもよく覚えてはいない。私の父は仕事帰りにたまに一杯ひっかけに行き交流があったようだが、中高生時代の私には縁のない場所だった。私はいちおう高校まで野球を続けていたが、いつも補欠だった。“しょんべんカーブ”で突如好リリーフを連発した、あの小学五年生の数試合が私の野球人生のハイライトだった。
 実に取るに足りない話ではあるが、久しぶりに思い出した野々村のおっちゃんがもう四五年も前に亡くなっていたとは。なんとも物悲しい気持ちになった。おっちゃんの歳も分からないが、まだ六〇代になるかならないかぐらいだっただろう。気の毒に。祐太郎くんはどうしているのだろう。

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