一度目は救急の電話番号さえ分からなかった。
それは一年生の頃、寒い冬の夜だった。僕は母さんの叫ぶ声で目が覚め、慌てて布団から飛び起きた。母さんがベッドの下で必死に「あなた!」と呼び掛ける姿が視界に入った。「どうしたの」と聞くと、母さんは父さんに呼び掛ける大きな声のまま、僕に「救急車呼んで、早く」と急かした。「救急車って?」「電話!119押して!」「う、うん」そこから先の記憶は曖昧で、赤色灯に照らされた担架の上で眠る父さんと、その傍らにいる母さんの泣き顔が記憶に残るだけ。
それが父さんとの別れー
鳴り響くサイレン、そして、周囲を照らす赤色灯。僕は立ち尽くし、あの日の記憶を重ねながら、ただ走り去る救急車を見送った。
次の日、朝の会で先生からおじいさんの容態について報告があった。入院となったが、夜に息子さんが面会に駆けつけた時には意識が戻り、命に別状はないそうだ。一過性脳虚血発作というやつだったらしく、発見と対応の早さで大事には至らなかった。
「この中で、誰か救急車を呼んでくれた人。息子さんがお礼を言いたいと仰ってます。誰かいるかな」
皆んなが周囲を見回しながら騒つく。
「誰もいないかな」
僕は躊躇いながら、ゆっくりと手を挙げた。
一瞬、静まり返る教室。注がれる視線。僕は悪いことをした訳ではないのに、何故か後ろめたい気持ちになり、泣きそうになってしまった。
しかし、僕の涙を留まらせたものは、次の瞬間に起こった拍手だった。最初は疎らだった拍手は、やがてクラスメイト全員へと広がり、廊下を歩く生徒達をも驚かせる位に響き渡った。休み時間になっても皆んなが僕を取り囲み、次々と質問攻めにする。良いことをしたというつもりはないし、褒められたいなんて考えもなかった。ただ、僕が僕としての存在を認められた喜びが、心の奥底深くから込み上げてくるのを感じた。ここ最近、僕は誰かに必要とされていると感じたことが無いように思う。
父さんが亡くなってから、母さんは生活の為、そして寂しさを紛らわす為、仕事に没頭した。あえて転勤の多い部署への配属を依願し、目まぐるしい忙しさの中で環境を変えながら、現実から逃げるように毎日を過ごした。だけど、そんな状況で僕は一人取り残され、自分の存在価値を見失っていたのだった。
放課後、ヒロト君と清志郎君とマサキ君がおじいさんのお見舞いに誘ってくれた。僕はその誘いに笑顔で応えた。
ベッドで横になるおじいさんは、いつも通りの表情、しっかりとした口調で僕たちを迎えてくれた。
「壮太は命の恩人だな」と、微笑みながら差し出すおじいさんの手を僕は握った。おじいさんはギュッと強い力で握り返し「痛っ」としかめっ面をした僕の顔を見ていたずらに笑うのだった。「俺も俺も」と、皆んなが続き、一人一人と力強い握手を交わすおじいさんの姿に僕は安心した。