今日は真っ直ぐに家に帰る気持ちになれない。私は商店街の喫茶店に足を運んだ。
「あら、いらっしゃい、寛太郎さん」
「やぁ梨華ちゃん。まだ、大丈夫かな?」
「もちろん、どうぞ。アメリカンでいい?」
「あぁ」
この店のマスターの梨華ちゃんは、美鈴の同級生だ。親父さんからこの店を引き継いで、もうかれこれ5年が経とうとしている。昔にタイムスリップしたかのような趣のある店内と珈琲の香り。ここだけは、どれだけ時代が変わっても、変わらない姿であり続けてほしいと思う店だ。
「あら、寛ちゃん。今日はひとり?珍しいわね、こんな時間に」
奥から、梨華ちゃんの母親の美津江さんが顔を出した。美津江さんは私より3つ年上で、幼い頃はよく遊んでもらった。
「あぁ。ちょっとまっすぐ家に帰る気持ちになれなくてね」
「なに、またウメさんを怒らせるようなことしたの?」
「いや、そんな事はないよ。うちは夫婦円満だから…」
いつもみたいに冗談交じりの笑顔で返したつもりだった。
つもりだったのに、うまく笑えない。声が震える。
驚いた顔をして美津江さんが近寄ってきた。
「寛ちゃん…大丈夫?」
「あぁ、ごめんごめん。なんだ、その…」
私は言葉に詰まってしまった。
「寛太郎さん。もしかして…ウメさんのこと?」
私の様子を見て、珈琲を運んできた梨華ちゃんは、少し戸惑った口調で切り出した。
「え…梨華ちゃん、何か妻の事で知ってるのかい?」
「…知ってるというか、少し気になってた事があって。ほら、お母さん、前に私が話したこと覚えてる?」
「前に話したこと?」
「ほら、ウメさんが道に迷ってたって…」
「…あー!あったわね」
私は二人の顔を交互に見た。
「何があったんだい?妻に」
梨華ちゃんは私の目をゆっくりと見つめ、重い口を開いて話し出した。