14 蒲田の道
本番当日の朝四時。身も心もボロボロの健一は、けたたましい目覚ましの音に起こされた。本番前、最後の練習にと自分で設定した起床時間だった。
さすがにハンドベルの音を鳴らす事は出来なかったが、ベルを鳴らす作業手順を、リビングで健一は何度も何度も確認した。
眠れなかったのか、健一の目覚ましに起こされたのか、練習している健一をこっそり美和が覗いていた。家族の為に頑張る『父親の背中』がそこにあった。美和は反省しながらも、音を立てないように自室へと戻った。
朝七時。石橋家の朝食風景に、太一の姿はなかった。太一が友達の家に泊まっている事は、友達の親から電話があって知っていた。朝食を終えた健一は、ハンドベルの音を鳴らしての、最後の調整に入った。
十時に石橋家の電話が鳴った。運営から「準備はいいか」という確認の電話だった。健一からすると、あと三日でも四日でも練習時間が欲しかったが「準備は出来ている」旨を伝えた。
運営との打ち合わせを兼ねた集合は、昼十二時の予定だった。演奏開始予定は、十三時。
健一は美和のコーディネートによって、ジャケットスタイルでビシッと決めた。しかし健一にも増して、和子と美和の方がビシッと決めていた。厚化粧に暑苦しい上着を着て、二人とも炎天下で溶けてしまうのではないかと思われたが、健一には注文を付ける余裕は無かった。
東急プラザは石橋家の徒歩圏内だったので、十一時前に家を出た。
今の石橋家一行には、通い慣れたはずの蒲田の道が異界に見えた。しかし東急プラザまでの道中、石橋家は沢山の勇気を貰った。ご近所やら商店街やら子供の学校関係者やら、世代の垣根を超えて、街中の人々から温かい声援を送られた。こういう街ぐるみの人情が蒲田の良さであり、蒲田らしさでもあった。
15 ただのおじさん
東急プラザの事務室で、石橋家と運営は簡単な打ち合わせをした。運営から「蒲田のPRなので、この街の特色らしく、明るく楽しくいきましょう」というような事を言われたが、健一の顔には明るさも楽しさも皆無だった。今の健一は如何なる音楽家より『ハンドベルの事で頭がいっぱい』のおじさんだった。
あれよあれよと時間が経ち、東急プラザ屋上の『かまたえん』に石橋家は立っていた。
家族と離れ、健一は一人ステージに上がった。長テーブルに用意されたハンドベルの前に健一が立って、運営から説明を受けた。
ステージを囲むように、和子と美和が立った。
親方をはじめ、『服部塗装』の職人達も応援に駆けつけた。職人は全員家族連れで、今日はただの『パパ』になっていた。
石橋家の知人や、一般の観客も集まった。
『かまたえん』は日曜日という事もあり、『幸せの観覧車』や『ビアガーデン』目当ての客で溢れかえっていた。
健一は運営の話がほとんど耳に入らず、十六年前の失敗の事だけが頭をよぎっていた。「もし失敗したら――」「もし失敗したら――」「もし――」
照りつける太陽のせいもあって、健一は尋常ではない汗を掻いていた。とても、これから演奏を生配信される『主役』とは思えない汗の量で、見苦しくさえあった。
しかし健一は、芸能人でもスーパースターでもない。健一は蒲田在住の、家族を背負った、ただの、おじさんなのだ。