10 騒音おじさん
翌日、運営がハンドベルを持って『服部塗装』を訪れた。『健一の職場での様子を撮りたい』との事で、親方もすでに了承済みだった。
すでに『幸せ蒲田計画』のサイト内には、健一がハンドベルに挑戦する旨の動画がアップされていた。
親方の鶴の一声で、朝礼前に健一がハンドベルを披露する事になった。
墓から死人が蘇りそうな酷い演奏だったが、健一の奮闘する姿に温かい拍手と声援が送られた。ここの職人達も皆、家に帰れば健一と同じ、ただの『不器用なお父さん』なのであった。
その日の夕方。
仕事を終えて家に帰った健一は、夕飯もそこそこにハンドベルを鳴らした。しかし職場の温かさとは対照的に、家族は冷たかった。一切上達しない健一の演奏に、家族全員苛立っていた。優しくて心地よいハンドベルの音も、健一が奏でるとただの騒音になった。
家族が下す今の健一への評価は『足の臭い騒音おじさん』だった。
11 プレッシャー
時はさかのぼり、十六年前。
いよいよ健一の『ハッピーファミリープラン』収録の時間が迫っていた。収録スタジオに入ってからの健一は、唾を呑み込む余裕さえ無かった。もし自分が体内で『77秒』をカウント出来なかったら、娘は死産するのではとさえ思った。妻に離婚を言い渡され、職場をクビになり、日本中から笑われ、指名手配犯のようにコソコソと逃げ回る人生が待っているのでは――。
いよいよ収録が始まった。健一は司会者に、課題の苦労話や自信の程を訊かれたが、何を答えているのか自分でも分からなかった。ただ苦笑を浮かべ、どの質問に対しても「そうですね」と謎の相槌を打った。
司会者の「いよいよチャレンジのお時間です。ハッピー?orアンハッピー?」というお決まりの文句の後、スタジオ中が静まり返った。健一の、人生で最も意味を持った『77秒』の始まりであった。
健一が目の前に用意されたボタンを押すと、電子時計が時を刻み始めた。
『1――2――3――4――』
健一は身体を揺らし、リズムをとった。声には出さず、リズムで時を刻んだ。この健一の身体の揺れを、日本中のお茶の間が見守った。
一定のリズムで身体を揺らす健一は、一見すると滑稽そのものだった。しかし家族を背負った父親のチャレンジを、笑う者は一人もいなかった。