8 家族会議
石橋家の夕飯のメニューは『家族会議』だった。
健一は家族全員の前で『幸せ蒲田計画』への出演を表明した。
決意した健一の心情の内訳は、服部塗装の盛り上がりから引くに引けなくなっていたのが二割。残りの八割は、美和と太一に『父親としての背中を見せる為』だった。
美和も太一も、十六年前の健一の失敗を知らない。当時はインターネット黎明期で『ハッピーファミリープラン』の動画は残されていないし、番組を録画したビデオテープも美和が産まれてすぐに捨てた。蒲田の温かい人々の気遣いもあって、成長した美和も太一もいまだに父親の過去を知らないのだ。だから子供達にとって、父親の健一への評価は『足の臭い』『休日に引き籠もる』『情けないダメ親父』であった。
健一が『幸せ蒲田計画』への挑戦を決めたことで、石橋家の食卓は久しぶりに会話があった。美和は勝手に応募した非礼を詫びる事もなく「さすがお父さん」と調子のよい事を言った。美和は続けて、ハワイの気候やパスポートの取得方法について話題を提供した。
9 ふるさと
「おめでとうございます! 幸せをお届けにあがりました!」
石橋家の玄関で『幸せ蒲田計画』の運営が和子にそう告げた。
日曜の夕方という事もあり、石橋家はリビングに全員揃っていた。新卒二年目のような若い運営二人から、健一に課題が渡された。
健一が挑む課題は『ハンドベル演奏』だった。クリスマス等にチリンチリン鳴らす、あの、ハンドベルだ。
運営が「演奏する曲は『ふるさと』です」と発表したが、健一はハンドベルという未知の金属を目の前にして、ただ呆然としているだけだった。
それもそのはず、健一は小・中学校時代「俺がくわえるのはリコーダーじゃない、タバコだけだ」等と格好をつけて、常々音楽の授業をサボってきたのだ。
当然、岩手県盛岡市にある小・中学校が健一に下した音楽の評価は『一』だった。
運営が「動画配信用に」と、健一にハンドベルを握らせた。
初めての健一の演奏は、乳幼児が興味本位で鳴らしているのと何ら変わりはなかった。
運営が撮影を終えて帰った後、早速健一のハンドベル特訓が始まった。しかし石橋家のリビングに鳴り響くハンドベルの音は、『ふるさと』ではなく『前途多難』を告げていた。
和子は不器用な夫に、ただただ深いタメ息を吐いた。
太一は耳を塞いで、自室に下がってしまった。
『ハワイ』の御旗を掲げている美和だけは協力的だったが、同じミスを繰り返す健一に思わず「センスゼロ」と言ってしまった。不貞腐れた健一は「寝る」と言って、自室という『ふるさと』へと帰郷してしまった。