6 77秒
健一が民放の人気番組『ハッピーファミリープラン』宛てに一枚のハガキを出したのは、かれこれ十六年前の事である。『もうじき生まれて来る娘の為に、ぜひ賞金五百万円を』という熱意が買われ、番組出演が決まった。
健一が番組から言い渡された課題は『体内時計で77秒を計る』というものだった。『77』という数字は、本国アメリカ版でも使用された『幸せを呼ぶ数字』とのことだった。
日頃塗装屋で働いている健一にとって、突然『77秒を意識せよ』という課題は、思いのほか難題であった。仕事中にカウントし、職人の先輩から「客はお前の人生なんて関係ねぇ」と怒られた事もあった。先輩を憎む気持ちもあったが、その先輩は休憩を余分に与えてくれたり、上がりの時間を早めてくれたりして、密かに健一を応援してくれていた。
健一は来る日も来る日も『77秒』を数えたが、『もし失敗したら』というプレッシャーが体内時計を狂わせた。もし一秒でも狂えば、妻や職場の期待を裏切るどころか、全国に生き恥を晒す事になる。
もはや健一にとって『77秒』は、幸せを呼ぶ数字ではなく、死を呼ぶ悪魔のカウントダウンだった。
7 父の背中
そんな日々から十六年後。
仕事から帰って来た健一は、夕刊をめくりながら『幸せ蒲田計画』の件を和子に相談した。
「お前はどう思う」
また『お前』呼ばわりされた和子は、夕食の支度をしながらそっけなく「お任せします」とだけ返した。
健一が夕刊に目をやっていると「でも」という和子の声が聞こえた。
「『でも』なんだ?」
「いえ、何も」
「なんだ、言ってみろ」
和子は健一の自尊心をなるべく傷つけまいと、気を遣いながら言葉を紡いだ。
「私はあなたが、家族の為に頑張ってくれてる事を知っています。でも……でも子供達は、あなたがプラモデルを作ってる背中しか、知らないんじゃないかしら」
健一は、夕刊に悲惨な記事でも見つけたように凍り付いた。家族の為に何十年も働いて、それで子供達が『プラモデルを作ってる背中しか知らない』?
健一はまた自室に籠城しようとした。しかし『プラモデルを作ってる背中しか』という言葉が、健一の背中に重くのしかかった。
自分は闘っているようで、逃げていたのか――。
家族の方を向いているようで、背を向けていたのか――。
「散歩してくる」
和子にそう告げた健一は、力無く外へ出て行った。