七生とわたしが一番聞いていたのは、ここでのお客さんや店員さんのみんなの声かもしれない。呼び込みの声、お母さんが子供を叱る声。泣く声笑う声。ぜんぶがわたしの身体のどこかにしみついている。
思い切って屋上に行こうと思った。シースルーエレベーターのRを押す。
扉が開く。夜の風を体いっぱいに吸い込んだ。どこかでグリーンの香りがしてきそうでふりくむく。この間まで百合子さんが経営していた<グリーン・サム>は形だけそこにあった。店の扉が開いていてアジアンタムが風に揺れていそうで錯覚する。
屋上には観覧車があった。よく七生とわたしはあれに乗って百合子さんって閉まってる窓から叫んでいた。下にいる百合子さんは時々みてくれているけれどほとんどが植物のプランターの前でお客さんに説明している時ばっかりで、こっちを見てくれていることのほうが少なかった。
いつだったか、七生が言った。
「百合子さんもいつかいっしょにのろうぜ。しおりぃとおれと百合子さんと」
だね。って答えてくれたけど店はどうするのってそれが実現することはなかった。
あの日のこと。七生が海外青年協力隊に参加したいと海のむこうへ行った時。
わたしは取り乱したのだ。家を出てったの、内緒でパスポートとってたの。
その時百合子さんは大振りのフィロデンドロンの葉をマヨネーズをしみこませたやわらかい布で拭いているところだった。ただただ無心に拭いていた。
「百合子さん聞いてる? 七生がね」しばらく黙っていたふたりの沈黙を破っ
たのは蒲田行進曲のメロディだった。
そのメロディを百合子さんは口ずさみながら、「じぶんだけじゃない誰かの喜ぶ顔をみたくて外国に行くなんていいことじゃないか。七生はそういう子だったよ。むかしっから。耐えな。しおり、双子はね、いつまでもふたりじゃないんだから。しおりはしおりでいいんだから」
そう言われたのが7年前なのにまだ昨日のことのように思い出してしまう。
七生は家を出てくる時言ったのだ
「おれさ、曽根七生じゃなくてさ蒲田七生でもいいぐらい、蒲田すきだから。みんなのことも。それにぜったい生きて帰ってくるから心配すんなって。誰がつけたのか七回生まれてくるで七生だぜ。だから親父とお袋みたいに早くにくたばらないから大丈夫だって」
わたしは鞄の中からちいさな壺をとりだす。ふたを開けた時まわりを一陣の風が吹き抜けていった。
灰になった百合子さんを、このデパートの屋上から見送った。
百合子さんって小さな声で呟くと気持ちよさそうに風のなかに灰も声もまぎれていった。不意に後ろを振り向くと観覧車がまわっているようにみえた。