「で、しばらく顔出さなかったら、おじいちゃん心筋梗塞で倒れてね。よくお見舞いに行ったわよ。でも元気になったとたん、また同じことで怒るの。うんざりして避けてたら、2回目の発作が起きて」
「もしかして、死に目に会えなかった?」
ボーちゃんがミチの顔をのぞき込む。ミチはアイスティーをくるくるとかき回した。
「ケンカしたまま、さよならになっちゃった。だから、なんか言えなかったの。言いたくなかった」
「ミッちゃん、俺が店主になってから一度もここへは来なかったもんなあ」
「うん・・・ごめん」
「いや、いいんだよ。気にすんな。今日こうして来てくれたんだ。きっとマスター喜んでるよ」
博さんは慌てて取りなしたが、ミチはうなだれて首を横にふった。
「ううん、まだ怒ってるよ。だってわたし、今もお店継ぐ気ないし」
その言葉に、店内がしんとなった。古い掛け時計の秒針音が、やけにコチコチ響く。するとボーちゃんが口を開いた。
「ミチは、蒲田が嫌い?」
ミチはもう一度首を振った。
「好きだよ、やっぱりホッとするし落ち着くもの。だけど、こんなに世界が近くなったのに、なんで一生地元?って思うの。それってすっごい損じゃない?つまらなくない?甘えてない?わたしはボーちゃんやおじいちゃんとは違う。生まれた土地でぬくぬくして、満足なんて出来ないわ」
一息にしゃべって、ミチはすぐ強い後悔に苛まれた。こんなところで言うつもりはなかったのに。ボーちゃんを傷つけたんじゃないかな。
けれど恐る恐る顔を上げれば、ボーちゃんは困ったような顔でミチをみつめていた。そして、あごを数回撫でた。
「あのさ、ジイさんはここの人じゃないよ。ZUZUもジイさんが始めた店じゃないし。ねえ、博さん」
「ああ。マスターは名古屋の出身で、東京へ来たのは30過ぎてからだよ。で、初代ZUZUのマスターから店を継いだんだ。俺は3代目の店主だよ」
「えええっ!」
ミチの素っ頓狂な声に、キッチンスペースへ引っ込んでいたジダンが、驚いて顔をのぞかせた。
「そうかあ、ミッちゃんは知らなかったんかあ」
博さんは失敬と言ってタバコをふかした。その姿に、ミチはカウンターの中で同じように煙をくゆらしていた、在りし日の祖父を思い出した。
「マスターは故郷の商売で、大失敗をしてなあ。逃げるように東京へ出て来たんだよ。蒲田が気に入って、ZUZUの常連になった。でも、初代マスターが店を閉めると言いだしたので、継ぐことにしたそうだ。この商店街が名古屋の地元に似てたんだって。その明かりが消えるのを、黙って見てられなかったんだってさ」
「明かりが消えるって、どういうこと?」
「ああ、ミッちゃんたちは知らないかな。80年代に入ってからこの商店街は、危機を迎えたんだよ。ちょうどバブルで、大型ショッピングセンターも出来て、商店街なんか古臭く感じたんだろうね。客足がぐーんと減っちゃってさ。でもマスターやボーちゃんの親父さんみたいに、よそから来た人が参加して、地元の人もそれを受け入れて、何とか持ち直したんだよ」