しょきん、しょきん。
ボーちゃんの、男にしては柔らかい髪にはさみを走らせながら、ミチはその音に耳をすませた。定休日の前日にボーちゃんの部屋へ泊まり、時々髪を切るようになって、3年がたつ。26歳だったミチは29歳に、ボーちゃんは28歳になった。
ミチがボーちゃんと付き合うようになったのは、友人の飲み会がきっかけである。自己紹介で蒲田の同じ商店街出身とわかり、一気に話が盛り上がった。ミチの実家は美容院を、ボーちゃんの実家はパン屋を営んでおり、出身小学校も中学校も見事に被っていた。だが学年が一つ違うのと、お互いの店が縦に長い商店街の両端にあることから、ずっと出会わずにきたのだ。そういえば、あの時のボーちゃんは、本当にダサい髪型だったなあ。ミチはそっと思い出し笑いを噛み殺した。
「ねえ、話聞いてた?」
いつの間に雑誌から顔をあげたのか、鏡の中からボーちゃんがにらんでいる。ミチはハッとして、手を止めた。
「あ、ごめん。ぼんやりしてたかも」
「しっかりしてよー。ミチのことも”ボーちゃん”って呼ぶよ」
彼の名は岡本荒太というが、名前にそぐわぬのんびりした性格と、よく空をぼーっと眺めている事から、このあだ名がついた。
「やめてよ、仲間にしないで。そしてもっかい話して」
ミチがそう言ってあごを彼の頭に乗せると、ボーちゃんはしょうがないなあと、笑った。
「明日有休とったから、出かけようって誘ったの」
「えっ、どしたの急に」
美容師のミチと区の職員であるボーちゃんは休みが合わない。だからお互いの休日はミチが早番シフトを取り、ボーちゃんは定時退社厳守で擦り合わせをしてきた。「限りある有休は、遠出か旅行の時に使いたい」そんな信念を持つボーちゃんが、突然休むのはまずないことだ。ミチは少し驚いた。
「一緒に行って欲しいところがあるんだよ。でも明日じゃなきゃダメなんだ」
「なんでよ」
「父さんの命日なんだ。お参りがわりに、思い出の場所へ行きたい」
「お父さんが亡くなってどのぐらい経つっけ」
「5年。早いよなあ」
「早いねえ。でもわかった。そういう事なら付き合うよ。行き先はどこ?」
「それは明日のお楽しみ。でも大したところじゃないから、あんまり期待しないで」
ボーちゃんはほわっと笑って、雑誌に目を戻した。ミチはカットを再開しながら、ボーちゃんの実家に思いを馳せる。
商店街の西端にある「オカモトパン」は、30年以上も地元住人のパン生活を支えている。ミチの実家でも、パンを食べるときは必ずオカモトパンまで買いに走った。あの頃はまさか、そこの息子と付き合うことになるなんて、思ってもいなかった。そういえば、ボーちゃんは子どもの頃、どこで髪を切っていたんだろう。