「足元に置きっぱなしになってたよ。どっちの?」
私の忘れ物だった。ライブの空き時間に、デパートで買ったクッキーの詰め合わせだ。気まずい空気と紙袋の可愛らしさが不釣り合いで、なんだか恥ずかしかった。
「すいません」
「……あのさ」
と那須さんが小さな声で話し始めた。
「俺、ふつうのおっさんだから、ふつうの事しか言えねえんだけどさあ」
と照れながら言葉を続ける。
「……好きな事は続けなよ」
本当にふつうの事じゃん。
だけど本当の事はふつうの事なのかもしれないな。
「ごめんな、年取るとお節介になって」
アイドルって、特別な仕事じゃなくて、この駅前の飲み屋街や商店街で働く人たちと根っこの部分は変わらないのかもしれない。目の前の人を大切にする。満足してもらう。目の前の人をただ喜ばせる。そしてなにより、自分が好きな事に一所懸命、全力で向き合う。ただそれだけのこと。一番簡単に見えて、一番難しい事なのかもしれない。
「まあ、よくわかんねえけどさ」
と、言い残してお店に去って行く那須さんの後ろ姿は、猫背で丸くて暖かかった。「よくわかんねけどさ」が頑張れという言葉に聞こえた。
「サキ」
私はクッキーの紙袋を抱えながら、口を開いた。
「なに?」
「……わたし、正直……逃げ遅れたと思ってた」
「え?」
私は言葉を続けた。
「みんな辞めてって、私とサキだけ残って……なんかどんどんしょぼくなってく、みじめになってく感じがして……だけどそれ、違うのかもしれない」
「どういうこと?」
「逃げ遅れたんじゃなくて、逃げなかったんだよ。残された二人じゃなくて、最後まで残った二人なんだよ」
サキではなく私が詩人になっていた。まさか、自分の口からこんな熱い言葉が出てくるなんて。
「リーダー……ついていくよ」
夜の喧騒に消えそうな私の安っぽい言葉は、サキの耳にキチンと届いたみたいだ。
なんだか抱き合って涙でも流しそうな雰囲気が恥ずかしくて、
「……じゃんけんする?」
と私は意地悪っぽく言った。
「あっそう。良いよ、じゃんけんしよう」
とサキはムキになった。
好きだな、こいうとこ。だから今までやってこれたのか。
「最初はグー、じゃんけんポイ!」
グー、グー、パー、三回連続あいこ。その小さな奇跡に私たちは顔を見合わせて笑った。
少し涙の混じった笑い声は、焼鳥屋の煙と一緒に、雲ひとつない夜の空へと吸い込まれていった。