小さな観覧車はゆっくりとまわり続けていた。春菜も健司も幼い頃に、連れられて乗った記憶もある。祖母は、どんな気持ちで私とこの観覧車に乗っていたんだろうと思うと春菜の胸はすこしだけきゅっと摘まれたように痛んだ。
観覧車の前にある券売機で健司がふたり分のチケットを買い、係の人に渡した。「はーい、気をつけて乗ってください」と係の人は、わざと陽気な雰囲気を出したように春菜には感じられた。春菜と健司のふたりが観覧車に乗り込むと、かシャンという音とともに扉が閉められた。と、同時にぷっと健司は吹き出した。
「佐々木さん、なんだか泣きそうな顔をしてるから……。俺たち別れ話をするカップルみたいに見えるんじゃない?」と笑っていた。春菜はすこし恥ずかしかったけれど「いや、なんかおばあちゃんのことを考えるとつい悲しくなっちゃって」とつられて笑った。ゆっくりと昇っていく観覧車からみえる景色は、五十年前とはずいぶん違っているのだろう。けれど、東急線の線路を走る電車や、遠くに見える町並みには、ずっと変わらず人々の生活がひろがっているのだ。
「ふたりに乗せてあげたかったね」春菜がそう呟くと「うん」と向かい合って座っている健司が小さく頷いた。
せっかくだからと、観覧車の前で、ふたりは写真を撮ってもらうことにした。さっきチケットを渡した係員に健司はスマ−トフォンを渡した。係員はまた、妙に陽気な声をだして「ハイチーズ!」と言いスマートフォンのボタンを押してくれた。
「おばあちゃんに見せたいから、今撮った写真送ってくれる?」
春菜も、自分のスマートフォンで撮影してもらえば良かったのだけれど、観覧車に乗りたいという親子がやってきたので遠慮してしまったのだった。お互いの連絡先を交換し、健司から写真を送ってもらった。なんだか、妙に嬉しくて春菜はその写真を大切に保存した。
「そう、島津さん、亡くなられたの……」
蒲田駅の改札で健司と別れたあと、春菜はその足で祖母の病室へ向かった。おばあちゃんから預かった封筒は、お孫さんの健司さんに渡したよと言った後、今年の春に秋生さんが亡くなられたことを祖母に伝えた。
「五十年も昔のこと、覚えているなんておかしいでしょ。写真も大事にしまってるなんてね……。でもね、最後の約束だったから、ね」一瞬だけ悲しそうな表情を見せた後、春菜に向かって、祖母は優しい笑顔を見せながらいった。春菜は「ううん、そんなことないよ」と首を振った。何て言っていいのか、春菜には分からなかった。けれど、弱々しく筋張った祖母の手を、春菜はそっとやさしく握りしめた。祖母の昔の話を聞き出したい気持ちもあったけれど、いまはそっと優しく手を握ってあげようと春菜は思っていた。
孫の健司と写真を撮ったというと、見たい見たいと、祖母は嬉しそうに声をあげた。春菜はスマートフォンの画面を見せると「あらあ、やっぱり似てるわねえ。目の辺りとか、そっくりよ」と祖母は懐かしむような声ではあったけれど、その様子は少女のように可愛らしかった。
病院からの帰り道、スマホの通知があり思わず春菜はディスプレイを見た。そこには健司からのメッセージが届いていた。「観覧車の下で、もう一度会えないですか? ナンパみたいで恥ずかしいけど」
そのメッセージをみた春菜は、思わず両手でスマートフォンをぎゅっと握りしめていた。その顔には、古い写真の祖母と同じように、小さなえくぼが浮かんでいた。