私は思わず声を漏らしました。
その数手先に、私の王将が詰まされる局面がはっきりと見えたのです。
「なあ、おっちゃん」
私は帰る間際になって、ようやく聞きたいことを口にしました。
「なんや」
おっちゃんは力を使い果たしたようにグッタリとしていました。
「病気は治るんだよね? 戻ってきてくれるんだよね?」
「あたりまえだのクラッカーや。将棋と一緒や。これを飲んだワシは無敵なんや。病気なんかに負けるはずあらへん」
おっちゃんはホッピーの瓶を持つと、莞爾として笑いました。
※
それが、おっちゃんとの最後の対局になりました。
その年の暮れ、おっちゃんは亡くなりました。結局、私はおっちゃんに勝つことが一度もできなかったのです。
それから、三十年が経ちました。将棋は今も続けていて、私の人生の一部になっています。将棋と同様に私にとって欠かせないものがもうひとつあります。
今、私の手元にはホッピーの瓶があります。そう、おっちゃんの大好きだったあの瓶です。その隣にはキンミヤ焼酎のお洒落なボトルもあります。これもおっちゃんが飲んでいたのと同じ銘柄です。
「ねえ、パパ。いつも、何飲んでるの?」
盤を挟んだ向こう側には、息子が座っています。将棋を覚えたばかりの息子は、局面を悪くして不貞腐れています。その姿を微笑ましく眺めながら、私はホッピーに満たされたグラスを傾けました。
「これか?」
私はニッコリと微笑むと、答えました。
「魔法の黒い水だよ」